ゆきちゃんの世界
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ブラジルの無双学校

2001年


先日、 京都の仁和寺に近いマクロビオテックな懐石料理屋さんで、
ブラジルのマクロビオティックでご活躍中の菊池ご夫妻の話をいろいろと伺いました.

ただ今アメリカやヨ−ロッパでは、マクロビオティックのことを大きな声でといえないくらい、
肩身が狭いんだそうです。

というのは、マクロビオティックを外国で広めたといわれるKさんが、
今、日本でA社などと提携して、Kダイエットとして大いに宣伝展開しておられます。
彼は1980年頃からボストンでベケットを開いて、
宗教法人としてのマクロビオティクの活動をずっとなさっていた方です。

そこでは健康法というより、かなり精神世界むきになっていて、
マクロビオティックはそちらの方に広まり、
ベケットは、ヒッピ−やエイズやドラッグなどの関係者の溜まり場になってしまったそうです。
そしていつも警官が見張るような場所になっていたそうです。
そういう方たちの最後の頼みの綱だったのかもしれませんが。

また、ヨ−ロッパでは、古くからのベジタリアンの伝統があるので、
Kさんは毎年オランダで講演していて、今もオランダだけには、
マクロの関係者が残っているそうです。

ところでKさんはブラジルに来た時、菊池さんのところまでは来ませんでした。
菊池さんが医者の関係者を何百人も集めたというのは、
Kさんが勝手に言ってることで、菊池さんは一切知らないことなんだそうです。

また困ったことに、Kさんのブラジルの関係者グル−プは、
毎年オランダでのKさんの講演を聴きにいく時に麻薬を持っていき、
そこでさばいて金もうけをしていたのですが、
とうとうコペンハ−ゲンで見つかって大騒ぎになり、
ますますマクロビオティックの名前を貶めてしまったのだそうです。

またKさんが、フランスの有名な作家の息子さんに影響力を与え、
親との板ばさみで悩んだ本人が自殺してしまったので、フランス政府から目をつけられ、
フランスには行けなくなってしまったとか。

また、フランスで活躍といわれていたKRさん、
彼も実は観光客相手にいつもグルメでワインに目がなく全臓器不全で亡くなられ,
桜沢さんの一番弟子のフランス人も糖尿病で亡くなり・・・(え−っ・・・!)、
夫婦の関係もだが、最後に憎しみ合うようなことになるなら、
なんのためのマクロビオティックであるのか、生涯勉強といえるのか・・・。、
と厳しい顔をなさりながらおっしゃっていました。

そしてアメリカの神様はお金。
金もうけしか考えないから、
アメリカを崇拝しちゃあかん、ともおっしゃっていました。

そして菊池さんご自身はマクロビオティクという言葉は使わず、
ブラジルでは、“生涯自己教育運動” として展開していらっしゃいます。
言うのは簡単だが、言ってる本人が身をもって見せなかったらなんにもならない、と。

万物が主であり、師である。
あらゆるものから学べる・・・。
そう、精神と肉体は切り離せないもの。
頭の栄養もとらなかったら、頭の栄養失調になる。
頭の栄養とは言葉。
記憶力によって貯える。
言葉の使い方によって、脳の細胞が活性化する。
精神と肉体の両立、これが大切だ。

この2001年7月末に、24回目の無双学校における菊池さん主催のセミナ−があり、
地球を背景としたすばらしいポスタ−を見せていただきました.

精神と肉体は同等である・・・どちらかに偏るのではない。
天と地、どちらが先でなく、同時。
にわとりが先か卵が先かではない同時発生。
時間と空間も、光と影も同時発生。
精神と物質も同時発生・・・これが今年のセミナ−のテ−マだそうです。
神と悪魔とどちらが先か、これも同時発生。
生と死、これも同時発生。
善と悪も・・・・。
西田幾多郎は “善の研究” をして善は悪を従えた・・・といったが、これも善悪一体。
菊池先生は “悪の研究” もなさったそうです。

そのセミナ−はフランス語で、ドイツ語・・・・の通訳もつくそうです。
外国に行くなら、きちんとした日本語を身につけてから行きなさい、と。

でなくて、外国語を勉強に行ったら,ミイラとりがミイラになる。
日本語は象形文字ですから、宇宙の波動をとらえたすばらしいものですから。
これをきちんと修めて、それから外国語と比較するなら同時に深めてゆける。


ニ−チェが、神は死んだと絶叫して亡くなったが、
はじめに言葉ありき、しかし本当に良い言葉、信頼のできる言葉がなくなってしまった、と。
本当に感動を与える忘れられない有益な言葉というものが、なくなってしまった。
堕落する始まりも言葉だ、発展する始まりも言葉だ、すべては言葉ではじまる、と。

言葉への不感症ではだめだ。
われわれは常にかわっている。
同じ空気に水に顔に二度とあえない。
われわれは変わらなければいけない。
“おかわりございませんか” “おかげさま” じゃないんだよ。

“あ・うん” とは、YES と NO。
本当に YES、NO のいえる人間は、本当に愛することもできるし、
生きることができる。

“わかりましたか” で、よく分かっていないのに、“はあ” なんていわず、
”わかりません” と正直に言ったらいい。
YES と NOの使い方がわからんといかん・・・。
なにごともいうのは簡単だが、実行するのは難しい。

とまあ・・・いろいろと遅くまで話はつきず・・・、
体にもよい料理、そして精神にもよいお話をたくさん聞けて、
神戸の友人とともにたっぷりと堪能し、夜中の名神を走って帰途につきました。
ほんと島国に住んでいると、見えないことが沢山あるんですね.


<わたしの感想>

わたしが思うには、人間にとって、言葉と精神と肉体だけではなく、
精神と肉体に大いなる影響を与え、言葉として生み出されるモトのもの、
“こころ” “こころころころ” というものが何であるか、
そこをもっと十分に追求する必要性があることを強く感じられました。

言葉も精神も肉体も全ては<こころ>の具合によって、
醜くもなり、曇りもし、病気にもなる・・・わたしにはそう思われます。

人はその体より発する<こころ>、
それは五感、六感と意識とによって影響され、
いろいろな思いが出てき、それらに右往左往さされて、
発する言葉にも、真理を伝える精神にも、それを宿す肉体にも、
大いなる影響を与えているもののように思われますね。

とくに、日本人や東洋人は “情” が厚いように思われます。 
その<こころ>解明をしなければ、感情や思いに左右される人間としては,
こころにふりまわされることになります。

自分の<こころ>のコントロ−ルが上手くなることで、
発する言葉にも責任がもてて、認識も精神もしっかりしてき、
肉体の食するものにも責任がもて、肉体の維持活用もうまくなるように、
すべては<こころ>の処理にあるようにわたしには思われます。

わたし自身は引き続き<こころ>の探究をしようと思います。

そして、生きるにしろ、ただ無闇に生きるのでなく、
自由と自律は表裏一体、自然の理をよく理解することでしょう。

そこをはき違えて全体を見ずして片輪だけでは、
天罰は厳しく下るものと思われます。


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