ゆきちゃんの世界
  * * * 気質・心 * * *
感性のアンテナを折らされる要因について

> 人の自然な有り様を歪めてしまう外的要因はなんなのか。

そうですね。ありさまをゆがめるのは、さまざまな外的要因だけでなく、人それぞれにそれを受け取る内的要因というのも、大変に大きいようにわたしには思われます。

人は、それぞれに、体の響きから来るそれこそ、その人にとっては自然であたりまえともいえる、考え方 感じ方・・・、意思、行動の癖や傾向性というものが、あるようですね。
なくて七癖といいますでしょ。
   (これが、陰陽であり、十干十二支ともいえましょう)

いえば、人は周囲との関係性の中で、自分というものに深く気づかねば、そのままだと、いろんな色眼鏡をかけたままで、回りを見ているともいえましょう。

ありのままとは、自分をよく知って、その色眼鏡をはずして、無心になってから周囲を自分を見ることから、
真のありのままがはじまると思うのです。

内と外との関係性や、相性、拮抗作用ともいえるものが
大きく関わっていると思われます。
   (これは、五行にみられるものです)


わたし自身のアンテナを折ってこなければならなかった経緯は・・・、 

私には、年子の姉がいるんでくっついて、
3才から幼稚園へ行ってたそうですが、
最初から、チ−チ−パッパ がアホらしくて! ほんと!
こんな子供みたいなことできるかって・・・しっかり子供だったのにね、
とくにお遊戯みたいなのがとって〜〜〜〜もいやでしたね。
小さい頃の幼稚園なんかの写真、いつもゆううつそうな
不満いっぱいのふくれっつらしてますよ・・・かわいそう〜〜〜!   

幼稚園の教室でもいつも一人だけお遊戯とかいうのから、
はずれていました・・・。
そういえば、先生のオルガンを弾く手もとをみたりしていましたね。
みんなの時間にもかってに砂遊びしたり、大きな積み木に夢中になってたり、
本も姉よりはやくいつのまにか、読んでたそうです。
運動会で走ったり踊ったりもいやでいやでね。
だだこねて、逃げ出して隠れてたりしたのを覚えていますね。

とにかく、この世の調子にあわせるのが、
自分のしたいこと、知りたいことができないってふうでとても苦痛でしたね。
だからすっかり馬鹿だと思われていたようですよ。
ところが、その頃知能テストとかがはやっていて、幼稚園でやらされて、
馬鹿じゃないことがちゃんと分かってもらえたようです。

しかし、母親は大人になるまでそのことを黙っていて、
その結果についても弟と入れ違えてウソをついていましてね。
姉がバラしてくれて、後年謝ってましたけど、天狗になったらいかんと
思ったですって。
ほんとに、母親や恐いだけの先生のために、どれほど自信もなく辛い思いで
いたか、そういうことが全く見えない、相手を責めるだけの思いやりのない
人たちでしたね。   

小学校になると机に座らされてだんだん慣れてきましたけどね。

そうですね。
中学の頃かなあ・・・やはり、根暗は嫌われるってのが、あったわね。
そういうプレッシャ−がきつかったですね。

みなとあわせていても、自分は他のことを考えていて・・・
ゆきちゃん! 聞いてるの? ってよく言われました。
  
でも、しょうもないおしゃべりは昔から嫌いでしたね。
井戸端会議とか、うわさ話とか、きゃ−きゃ−とかさわがしいのが
いやでね・・・

やはり自己を確立してゆく時に、他と調子をあわせている余裕がなくって、
学校で皆とあわせるのが、とてもしんどいつらいって時期がけっこう長かった
覚えがありますね。
けっこう図書館にこもっていたような、毎日徹夜で本読んでたりとか・・・、

内面がとても苦しかったのに、外ヅラは明るくて、活発で、リ−ダ−でって、
かなり、二重性格みたくでしたね・・・。

また、わたしの母が、子どもは明るく元気がよいという信念!の人だった
ので、無理にそのようにバタバタとたきつけられてきたという圧迫感が
いつもありましたね。

ほんと口やかましい人!!!でしたから、
大人になっても後遺症の強迫神経症みたいなのがありました。 
これが、わたしを落ち着かせてくれない、一番の元凶だったと思いますね。
ほめられたことがないですからね、そわそわと落ち着きの無い子でしたね。
それも、自分に自信をもったことがないからですよ。
30才になるまで、母に恨みが残っていましたね・・・・
あ〜〜〜、なんて暗かったわたし・・・!  

とにかく、外で、自然の中で森や川をかけまわって遊んでいる時が
一番すきでしたね。
暗くならなきゃ家にかえらない、
昔は田舎は塾もなかったし・・・そういう意味では幸せでしたね。

も一つ、わたしに感性を蓋させたのが、大学受験の時から関西一の
先生だと聞いてついたピアノの先生が、怒鳴って、わめいて、たたく・・・
そんなヒステリ−な音楽性にも乏しい、精神的に不幸なピアノの先生
についてしまった・・・・ことですね。

それで、わたし自身への自信やアイデンティティ−は母親についで、
そのヒステリ−先生によって、みごとに打ち砕かれてしまったのでした。

若い頃は、すごく自己嫌悪の固まりでしたね。
大学にはいっても、そのままの先生ですから・・・

ピアノかついで、山奥のお寺に篭りたいと、
ほんと、真剣に親にたのんでみたんですけど・・・
やらせてもらえませんでしたね。

とうとう、20歳になるのを待って、ピアノしょって家を出て下宿しましたね。
授業料も只でしたし、以後いっさい親に頼ったことはありません。

いやはや・・・・不幸な 若き日々でした。

とにかく、人を侵害して平気でおれる鈍感な人たちがいるってのが・・・
信じられない・・・だから、頭を低くして、身を潜めるしかない・・・
そして、傷ついた自分を出さないように、気づいてないかのように振舞う・・・

と、自分の傷つきやすいこころに蓋をして、ガ−ドするためにも、
感性のアンテナをポキポキ折っていくしかなかったように思われます。

でも、もういいんですよ。過去のことですから・・・

今はもう、ひらきなおって、大分楽になれていますから、
これも、子供を4人も持って、必死で世間と格闘してきて、
しっかりオバタリアンになったってことでしょうか。

昔のことを思うと、ほんと、人をはげましたり、元気づけたりするのって、
とっても必要なことだなって思うんですよ。

そして、何より自分をよく知って、相手もよく知り、
けっして、傷つけるよりむしろ何もしない、見守ることが大切だなと
そして、悩みから抜け出る示唆をそっとつぶやいてあげる、
それでいいんだなんて、・・・いろいろと思わされるんですよ。

ついつい愚痴ってしまいました。

でも、おかげで、人間性の因ってくるところというものに興味をもって、
追求し、いろいろと出会えて、研究できて、今となっては、
ほんとよかったと思っていますよ。


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