ゆきちゃんの世界
  * * * 阪神淡路大震災ボランティア * * *
4月地震報告 第3弾

<地震の教えてくれたもの>  地震報告第3弾  
                            1995年4月号 YUKI.I
◆ボランティア活動◆        
 
大震災から3カ月が経ようとしています。

 5500人もの犠牲者を数え、その背景にある一人一人の心にまだまだ残る膨大な苦しみと悲しみを思う時、私達一人一人は自分の考えや行動の襟を正さざるをえないと思うのです。

多くの皆様方も、この惨状にそれらを強く感じておられるのではないでしょうか。                     
                                
 私は身近な人達の救援が済んで、2月中ばから「灘区災害ボランティア」でずっと活動を続けています。灘区と聞かれて、公のように思われるかもしれません。

 もともとは区役所内にあったのですが、じつは、私が行った時は、区役所と区民センターの間の河原のテントに移り、区役所は何もしてくれないという状況下にありました。

 灘区のボランティア活動も当初は避難所への物資の配送、積みだし、供給などでした。

 しかし、行政の避難所でのありきたりの物資供給だけでは、とても困っている方々への対応は覚束ない状況でした。

 行政の目のいきとどかない、避難所と認められていないあちこちの小さなテント村への供給も担当しながら、もっと被災者の方達の直接の声を聞きながら対応をしてゆこうということになって、分かってもらえない区役所の建物を出たのだそうです。


■今の行政では細かな対応は無理
 
 そして区役所にボランティアの受入窓口がなくなったのですから、たとえテントであろうと、多くのボランティアを受け入れる所が必要です。 
 
 又、行政の目の行き届かないところで沢山の手伝いが必要とされている状況で、「はい、さようなら」というわけにはいきません。
 
 行政は自分のできない細かなケアをボランティアの活動におしつけて、こちらに頼っているのにエンピツ一本、荷物の運び出しから、仮設へのひっこしにいるトラック一台、区民のためのニールシートをはるためのはしご一つ貸してくれません。
 
 本当にどんな神経をしているのでしょうね。                                 
    
 もっとも、避難所と同じパンや夕方一食のお弁当の配給だけは隣の区民センタ−でいただけたので、手弁当といわずで、学生さんたちには、大助かりです。
 
 しかし、コピ−機もファクスも全て、行政のものかと思いきや、すべてが企業からの提供なのです。そんな各企業の気持ちを本当に有り難くも思い、又何より健気な若者たちの懸命な活動には頭がさがるばかりです。
 
 けれど、この若者たちの多くも大学が始まるので、もうすぐ、それぞれの生活へと戻っていかねばなりません。 

 そして、疲れた体に鞭うってアルバイトにでむき、遠い自宅への帰りの交通費もかせがねばなりません。多くの方々からの義援金で少しでも援助してあげたいくらいの気持ちです。

 そして、彼ら達はでもその責任感から、これからも土日にはボランティアに出向いてくれるそうです。
 今も引き継ぎ内容の整理とローテーションの組みようが大変な時機です。 
                             

■一区民の身になってほしい
 今、仮設住宅(一戸230万円)の出入り口のひさし一つつけるにも行政はこれ以上のお金は一切でませんとつっぱねています。

 帰りの交通費にとたとえ5千円もらったとしてもボランティアの若者はその金でひさしをつけてあげてというでしょう。行政は自らの施行した所に身をおいて、体験して、その足りないところに気づくべきです。
                              
 行政の目は、この震災によりこれまでの生活を全てうち壊され、路頭に迷っている多くの弱者、老人の方には向いていません。

 仮設住宅もその地域の公園や空き地でカバーしないで、ほとんどの方々がそれまでのつながりを捨てて、一切を抽選で、バラバラに他の遠い地区への移住をさせられる状況です。
 
 それまでの地域とのつながり、学校や仕事をもつものにとって、山のあなたの空遠くから通うのにとても時間がかかる状況で、暮らせるわけがありせん。

 では、賃貸用の集合住宅をたてる為の補助を率先して打ち出しているでしょうか。弱者のために高くなる家賃のフォローができるでしょうか? 

 仮設の建つ場所も本来は子供たちの区民の遊ぶスペースなのですからもっと恒久的な市営住宅案を早急に打ち出す必要があると思われます。
 
 だのに行政が打ち出すのは、人のいない血の通っていないコンクリートと高層ビルの一見美しくみえる副都心構想なのですから・・・・なんともはや、そこには一体誰が住むというのでしょうか。地域住民を忘れた砂上の楼閣案といわれてもしかたがないと思います。
   
■暖かい血の通う行政を

 本当に困っている方々の身になり、声をきいて、何が一番妥当であるか、検討せねばならぬところを国だ県だ区だと、セクト意識で互いに責任のがれをしようとしています。

 ようやく地域型仮設住宅が建てれることになりました。これは、2階建ての仮設住宅です。
これまでの仮設住宅と同じ敷地で一挙に6〜7倍ぐらいの受入人数が可能となります。

 それは、一人暮らしや障害をもつ夫婦の受入用になります。
 これまで、2階建ては基礎がしっかりとなるので仮設ではないとして認められなかったのです。

 しかしこれも4.5畳(一人用)か6畳(障害者と介護者2人用)の一部屋ずつの狭さの共同住宅で台所、風呂、便所とも共用ですので、体の不自由な高齢者は入居にも二の足をふんでしまいます。

たとえ、仮設住まいの1〜2年でもそれなりのスペースと個々の生活への配慮は必要だと思われます。

 又、北区や西区など遠いところに仮設住宅があたっても、もとの地域に帰ってこれるのでしょうか。
 もとどおりの安い家賃でおれるような一人住まい用集合住宅でも建ててもらえるという保証がないかぎり、これまで誰にも頼らず、けなげに年金ぐらしをしてこられたお年寄りの方々にとって、先の見通しも全くつかないままでしょう。 

 それでは、遠くて不便な生活もままならないような知らないところに住もうという勇気はなかなかでてこないように見受けられます。

■JBCのボランティア活動内容

 私が「灘区災害ボランティア」にお手伝いにきた時、ちょうど前日に″JBC″(じっちゃんばっちゃんクラブ)ができたばかりで、まさに私がかかわりたい内容でした。

 対象は高齢者や身よりの少ない一人住まいの方、障害を持つ方々、などです。

 又、この震災にあわれて、どうにも困ってしまい、けがもなさってうごけない方々のためにも、いろいろなお世話をしています。又、訪ねるうちに他の様々な方々ともいろいろ話をさせていただいております。
                               
 
 手伝いの内容は病院の送り迎え、薬の配達、倒壊家屋からの荷物の運びだしや搬送、ひっくりかえった家財の整理、公園での被災者用のテント張りの手伝いもします。

 一人暮らしの方への手助け、ケースワーカーの方に頼まれた体の不自由な方達へのヘルパーさんだけではケアできない生活のお手伝いもします。

 一人暮らしで、手元不如意な方の仮設へのひっこしの手伝い、いろいろな証明をかわりに立って並んでとってきてあげたり、目の不自由な方を福祉事務所(倒壊して場所が移動)に案内したりします。

 そして、何より話し相手になってあげて、安心して頼りにしてもらうことが一番のケアになっていると思われます。

 区からのトラック提供などないので、いつも私のワゴン車も借り出されます。どなたか軽トラックを貸して下さる方はないでしょうか。これから仮設へのひっこしが急増するなかで高齢者の被災者にとっては引っ越し代もままなりません。
 
 又、他のあちこちの遠い仮設住宅の情報も今急いで収集しているところです。
 遠くに移っていただくにしても、そこが本当に安心して住めるところかどうか、バス停は、お店は、周囲の状況は、ケアの様子は等、ボランティアが調べてあげなくては、移られる方にとっては全くわからず不安なところです。
 
 今後は、これまでの活動内容と又違ったさまざまな活動が必要とされてくるでしょうし、行政がそういう細かなところの配慮にも気づかない限り、私たちのテントでの活動はつづくでしょう。

■市役所での陳情
 
 3月22日に神戸市役所の民生委員会で私たちのテントから大学生2人が陳情をしました。
 
 そして、私も自宅からワープロをテントに運び込み、みなで陳情書の作成をその日の朝の3時までかかってしあげました。
 
 その陳情の内容は、今後新年度にともない学生のボンランティア数が大幅に少なくなる状況を鑑みて 

 1)早急な訪問ヘルパー制度の再編拡充  2)区レベルでのボランティアセンター及びコーディネーターの設置  3)仮設住宅への高齢者や障害者への細やかな 対応をという三点に関しての陳情を行いました。
                  
 
 私は学生達と一緒に、始めて神戸市役所にはいりました。
神戸に来て、まる4年になろうかというのにまだ市役所に入ったことがなかったのです。

 市長さんの部屋は14階、やはり消防の梯子車の届くぎりぎりのところね、と昼休みに外の公園で焼き芋をかじりながら、15階以上はパラグライダとパラシュートをドッキングさせたような救助用の器具を開発しなくちゃね、 とそんなことをしゃべりながら、JBCも含めて10人ぐらいが26階の委員会室で、先に陳情を終えた後、能率の悪い委員会につきあいながらまる一日をすごしてしまいました。
 
 
 まだ、街のほこりもいっぱいの寒い中、暖かな市役所の議員さんの委員会では、これを機会に、ディズニ−ランドのような、パァ−っとはでなのをつくりましょうや。 

 と、真面目に発言をなさっているんですよ。わたしは、耳を疑いましたよ。これでは、いわんや神戸空港をやでしょうね。 まだまだ市議さんのほとんどはこんなものでしょうか。
                       
 しかし、この陳情も功を奏して、採択となりました。

 そして、とある議員さんのお陰でようやく4・5日前から区の地域福祉課の方もテントにこられて話ができ、今日も、区のボランティアの窓口の担当になられるらしい主査の方と話しあえることになりました。

 もうすぐ市議会の選挙ですし、知事選挙もあるでしょうから、丁度いい時期といえばいえるのかもしれません。

 ですから、行政も自分達ではどうしても行き届かない点や気づけないところがあるということを謙虚にわかっていただけたら、そして、区民の声と行政をつなぐ役目として、ボランティアを認めて下さり、その心持ちにも共感をいただけたら、ボランティアたちのこれまでの皆の労も報われるというものです。


■ボランティアの喜び  
 でもボランティアの喜びは、したものでないと分かっていただけないのではないかしらと私には、思われるのです。それは、心と体と一体になった体験だと思えるのです。
 
 共に喜びあえる喜び。自分の心に暖かい灯をともさせていただけると私には思われます。
ボランティアをすることで自分の心にも豊かな喜びが与えてもらえるのです。

 その喜びのエネルギーが又次の活動への活力になるのです。みなさん月一回でもいいです。
何かあなたにできるボランティアをしてみませんか。お待ちしています。


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