ゆきちゃんの世界
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諸行無常・・・

諸行無常 盛者必衰の理り   1995.3. 雑感  YUKI.I
 
 地震で形あるものが、無惨に崩れ落ちました。
人々はおおくのものを失いました。しかし、多くを失うほど、得るものは多いと西洋の聖人はいっています。 ですから、多くのものを失った人、大切なもの重大な喪失をした人ほど、この地震で得たものは、多大な重大なものだったのかもしれません。そして、それは、体験のないものには、何もいえるものではないとも思われます・・・。
 人には必ずのりこえられるだけの 重荷をせおわされるとも聞きます。悲しみにうちひしがれたままでなく、なんとか、亡くなった多くの方々のぶんも、今をしっかり生きていっていただきたいものと、私には思われるのです。
 又、今回の、このまさに非常時に人々は、自分のうちなる思いもよらない力にきづかされた方も、沢山あったようにお聞きします。 又、日ごろ見失っていたものに気付かされたとも聞きます。 
命と心と人との暖かいふれあい思いやり 物なんて、地震の一揺れで、こわれてしまう。
  今回、物より大事なのが″人の命″であり、″人との関係″だったと誰もが感じられたようでした。 
 そして、″人のやさしさ、思いやり、助けあい″がどんなに有り難くうれしかったか、人はぎりぎりの最低の立場におかれて、それを十二分に感じたことと思います。

人とのかかわりが原点
 
 それこそが、人間としての原点だと思われます。
  人間は人の間にいてこそ、人間。 俗世の中にあってエゴを少なく、心も迷わされず、皆の心のお掃除に役だってこそ、皆に有り難いと思われてこそ、有り難い得がたい人間として、この世に生まれてきたかいがあったというものかもしれません。
 「山に法はない。 だるまは巷にあり」に倣って、高野山を降りた僧侶がいたそうです。
街にあって法を説くことこそ、真に僧のなす仕事であると、その僧侶は言ってたそうです。
わたしも、まさにそう思われます。 このような非常時、寺のなかのお坊様は、みなマザ−テレサをみならってボランティアのテントに来ていただきたいものです。
地震でエゴの衣をぬがされた 
 地震は人の心のよろい、かぶとを壊しました。 家を壊したように,その極限状況は、人の心の枠にもひびをいかせ、日ごろ心を覆っていたものを、すっかりりはとりはらってしまったようです。
 そして、ぎりぎりの原点にたった時、人々は助けあいました。
 自他の区別なく、いっしょになって、助け合い、悲しみ、喜び合いました。それはまさに"素の心"だったでしょう。
 しかし、しばらくたつと、心は、ほんらい持ちあわせているさまざまなエゴの衣を着だしました。辛い避難所生活では、素の心のままではおれなくてだんだんとエゴがぶつかりだしてきました。
 そして、今、ようやく人々は、良識をまとった自分らしい心を取り戻しつつあります。
 今回この地震により、人はいのちの原点に立つという体験をしました。
 そして、エゴも何もかも捨て去るという状況のとき、ともに一体となって助け合い喜び合えました。
 その原点の素心の喜びを一度味わった人は、いつでも、エゴの着物を脱ぐことを恐がることはないでしょう。
 
 むしろ、その原点にこそ、通じ合える暖かいものがあったことを実感として体験できたのです。
 また、地震はこれまでつきあいのなかった人も、同じ体験者としての連帯的な意識でつなげました。 
それは、人と人との距離をなくしてしまうものでした。同じ思いのなかで、新たに人と人の心のネットワ−クが生まれました。 
 すばらしい新しい世界がみなの前に示されたのです。


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