
6月地震報告 第5弾
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地震報告第5弾 1995.6.1. 6月通信 YUKI.I
<世状は騒然としています>
世状は騒然としています。 その中にまきこまれ、動揺したり心を騒がせるか否かは、自分の心の持ち方いかんですね。
しかし、それは決して目をつむったり、そむけたり、逃げたりすることではないと思います。
今年は乙の亥の年、「乙」は「天干」 天の意をあらわします。そして、「亥」は「十二支」で地の気をあらわています。
「乙」はまさに″木の性″。 今年は天から強いメッセージとインスピレーションを受け取る年でしょう。 ″木″は″気″に通じ、天の意は強くは呼びかけていますが、まだおだやかでしょう。
しかし、来年、さ来年とつよい″天″の″火性″の年は近づきつつあります。 と、まるで天気予報みたいですね。これはオウムならずとも易学では、皆の知るところです。
●天の気はめぐる
天干は12年を1クールで、60年を還暦とし、又、180年を大きな替わり目としています。
そして、来年はそれらの大小のクールの重なる、大きな節目であり、激しい性の重なる時なのです。
60年単位でみますと昨年の凶作、米騒動も60年ごとにおこってきたものです。米騒動をはじめ、180年前には、ちょうど天明の大飢饉もおきています。
乙亥の気は、勇猛な猪の意味もあり、正義に富み、他の動物の危急を救い、正直て゜勤勉で活動的のいみあいがあります。 この分では、まだまだ私のボランティアは続きそうです。
又″地の気″とは、人の世の行いや表れのこと、″亥″は猪突猛進、実直さですが、事故や障害に出あうことが多いのです。
しかし、しっかりと、おだやかな天の気を受けているなら、めったに危険には遭遇しないかとは思われます。 しかし、一緒にこの時代に生を受けている身です。 時代の流れの中の大きな災害や事故にまきこまれてしまうこともあるのです。
せんだっての地震で亡くなられた方々、2・3月もいれての6500人もの方々の身におきたことです。又サリン事件でなくなられた方もそうだと私には思われます。
●オウム教とは何か
地震報告第三弾に、オウムの背後のあやしい黒雲のみえることをいいました。その雲も大分解明されてきつつあるようですね。
私は以前、麻原教祖の写真をみまして、これは違うなと感じていました。
それに、まるで政治家が自分と偉い人を並べてとった写真で迫力をつけようとするみたいに、ヒマラヤでしたか、山の奥のめったに会えない超一流の行者と一緒に修行したといって、なんと写真が撮ってあるのですもの。
おかしいと思いませんか。 カメラマンが同行して修行していたのでしょうか。
チベットの奥深くまで、解脱したステージの高い人としか会わないという行者がやすやすとカメラに撮られるものでしょうか。
セルフタイマーだというなら、肖像権の侵害をしているかもしれませんね。
ダライ・ラマも麻原教祖の権威づけに利用されていたようですね。
●恐怖と不安をあおる
オウムは、ハレー彗星が地球にぶつかって世の破滅だといって、恐怖心をあおり、金を集め石垣島まで信者をつれていき、待ち構えていたそうですね。
全く無邪気なものです。 本当に霊力があるなら、信者のマインドコントロールに麻薬を用いることなど必要ないはずです。
いわゆる見えない世界を感じる者としては、″霊覚者″と″霊能者″がいます。
″霊能者″は、素質があれば、修行して、集中力と技をしればなれます。
それなりの力はつくと思われます。
しかし″霊能者″では、真の道のわからぬまま、その能力にひきよせられてきた人たちを食い物にしたり、あらぬ方へとひっぱっていって信者の命を損ない、害を与えてしまうことが多々あります。 今回のオウムがそうだと思われます。
″霊覚者″は真に神と通じているものです。 ″霊能者″のまわりには色々様々な気や雲がめぐっていますが、″霊覚者″は明るく清新な光が感じられるものです。
それは決して、地獄へおちるぞとか、自己嫌悪や罪悪感におちいらせたりとか、恐怖や不安をあおったりするようなおどしの宗教ではないでしょう。
周囲のものに悲しみや怒りを与えたり、宣伝にこれつとめたり、お布施を強要して金もうけをしたり、ましてやラチ監禁して、その上殺したりなんかとんでもない話です。
神に近づけば近づくほど明るく清明な喜びの中で、落ち着けて、全てに感謝と受容があると私には思われるのです。
●オウム教の情報操作
当会の地震報告第2弾に″地震兵器の可能性も″とのせていたことから、yukiさんオウムを知ってたのといわれます。
地震兵器に関してはオウムが言いだしたのではありません。
オウムが言っているとしたら、麻原教祖の霊力ではなくて、私でも聞いたことのある、それを言っているのだと思います。
私はオウムと違う他の方々からききました。 元阪大の工学部教授の方から、ロシアが各大学に折衝にきていたことをききました。
又さる古代日本のことで大変にご高名な先生も各方面での講議にその地震兵器のことをおっしゃっています。
オウムは大変に情報収拾にたけており、そのU先生の講義などの研究も大変熱心にしており、その内容をわがもの顔にしているらしいです。
又ソビエトの軍事機密風なものにも近いらしいので、そちらからの情報もあったのかもしれません。
●軍事機密とは・・・
こと宇宙の衛星にかんしては、ソビエトの方が格段にすすんでいます。
先だってから米国の宇宙飛行士がソビエトの衛星にのせてもらっていました。 又この地震をはさんで、宇宙滞在最長記録も達成していましたね。
又、高磁気ドームというのをご存じですか。 これもナサでの軍事機密のひとつですが、このドームにはいると放射能汚染もなくなり、ガンもよくなるという評判のものです。
が、軍事機密ですから、政府要人は入れても、チェルノブイリの子たちは入れないのです。
戦争のたびに科学力は急激的に増加しし、原爆もできました。
そして、いまや、中性子爆弾など古くて、地震兵器のひとつプラズマ兵器までさまざまな軍事機密は一般の情報では伺い知れるところではありません。
ついでに、次頁に私が昨年の通信2月号でもいっていたことをそのまま少しご披露しておきましょう。
又、これはさる大学の地震の研究者の方がおっしゃっていたことですが、東京では、地震の研究がいつもされています。 そのひとつとして、地殻の断層を調べる方法として、人工的に地震を起こす方法でしているそうです。
もっとも大分以前の話なので、今も続けて、そこでなさっているかどうかは確かではありませんが。 それは、夢の島に2キロほどパイプを掘りまして、ダイナマイトをつめまして、人工的に地震をおこすのです。
そして、東京都内の各所の校庭にもうけた地震観測器でその地震の伝わり方を測定するのだそうです。その伝わり加減でどこに断層があるのかを算定するのだそうです。
電話の時報にあわせてスイッチをいれるのだそうですが、現実に夢の島のすぐ上にいる時はまさに震度5か6の直下型地震と同様だったそうです。
ですから、このようにたびたび人工地震を起こすことは、ある意味では地殻のエントロピーを下げる役目をするともいえるかもしれません。
又人間の体が固いようでいて、体の操法などをしてみるとよくわかるように、水はわずかのエネルギーもそれは微妙に遠くにまで伝 えてくれます。
まさに水の入った皮袋といえます。 地殻も同様だと私は思います。とくに日本のように湿り気の多いところでは、地殻もマントルという水に浮いた寒天みたいなものだと私には思われるのです。
このように、地震兵器でなくとも、人工地震を起こすことは、実は、これまでにもされていたことなのです。
●そもそも原始仏教とは
しかし、何が彼らを″無差別殺りく″までさせたのか。
もし彼らの言う教義が真に″原始仏典″からひもとかれたものであるなら、そのようなことはするはずがないでしょうに・・・・。
どうも、その教義も、オウムにドブンした、会員さんの話しを聞いてみると、いろんな宗派のよせあつめのようにも聞こえました。
又、ポアだとか、なんとかは、多分ジャイナ教からひっぱってきたようにも思われます。
ジャイナ教は、インドにアーリア人が侵入するBC15世紀以前にインドにあった出家して苦行をして、解脱するという宗教です。 天界の神々の上に解脱者が永久に住むという独特の世界観をもっているそうです。
●バラモン教と釈迦
しかしアーリア人によってバラモン教がもたらされ、カースト制がはじまりました。
そして、祭祉による儀式やヴェーダンタなど、人間の真我ともいえるアートマンと大宇宙のブラフマンが凡我一如として一体のものであるというマクロ的多神信仰的なバラモン教と、ジャイナ教とはまた違うもののようです。
釈迦が最初に苦行をしていたのはこのジャイナ教だと思われます。
しかし、釈迦はこのようなありとあらゆる苦行を6年してみたが、これでは悟れないと分かったそうです。
ですから、本来釈迦のいう仏教は″苦行″を否定するところから始まっています。
●ジャイナ教とは
ジャイナ教とは、正見・正知・正行がその教理です。
そして、ジャイナ教には、5つの大禁戒があります。
そして、解脱をするには出家するのが正道で、まず5握りの頭髪を自分の頭からむしりとって懺悔せねばなりません。
それから@無害 A真実言 B不盗 C凡行(セックスをしない) D無所得を守らねばなりません。
無害とは、徹底していて、無意識的にもいっさいの生物を害することを禁じているので、道ゆくときも微生物さえ殺さぬように箒のようなもので地をはくそうです。
ですが、現在でもインドでは衰退した仏教と違って、厳しい戒律と苦行のジャイナ教の信者は100万をこえ、在家の有力者も多いそうです。
オウムの麻原教祖はおおよそこの5戒の全てをおかしていたようですね。
自ら手づかみでむしりとってて懺悔するためにあのボサボサ髪を残してあるのでしょうか。
でも、ある無責任の恥を知らない態度ではむしりとる勇気も出ないでしょうね。
最終解脱者に食の選り好みがあるというのものもおかしくって・・・。
又、死の体験と称するものは、肉体の死についての体験のように私には聞こえました。
肉体を持ってとびあがるのは、肉体への執着がぬけていない証拠だと思います。
彼ら流にいわせてもらえば、ステージが低いので、意識が肉体のそれも低次元から離れれなくて、魂だけで抜けれないので、重い肉体をもってあがいているのがあのピョンピョンジャンプだと私には思われます。
肉体の苦行がナンセンスであったと釈迦はいっています。
山に法なし、ダルマは巷にありとよく聞くところです。
どうぞ、何かを求める方はボランティアに来てみて、ともに喜びのわかちあいをしてみませんか。
<オウムは現代の縮図>
●差をつけて競わせる
かように、オウム真理教は、羊の皮をかぶった狼のごとき感があります。
そして、教団内のピラミッド構造も全く現代の縮図です。
1人1人が自分自身の主役であり、1人一人の生命に差はないと思っているわたしにとっては、笑止千万です。
″悟り″とは差を取り除く″差取り″に通ずると私は思っています。
ところが逆に、オウムは現代の競争社会を反映するかのように差をつけて、競わせ、官位!をえさに悪いことをやらせています。
まさに逆らえない恐怖の集団です。
現代の受験競争、出世欲がそのままスライドされ、悟りたいという欲をかきたてています。
●昔の赤軍派を思わせます
オウムの自作自演の火炎ビンなど・・・?
私などは昔々、ひよっこの音大生だった頃、ピアノをこわされないようにと、″逆封鎖″をして学校を守った覚えはあります。(逆封鎖は赤軍派ではありません。私は一般ノンポリ学生でした)
何事も枠の中だけでいるとだんだん先鋭的に狂気になってきますね。
とくに心の内に不安をもっている人はみたされない代償を求めたり、愛情の足りなかった親への敵意を他に置き換えて敵を作ることである意味で安心するのです。
ですからオウムもそれと同様の方法をとっていますね。
外に仮想敵をたえず作っていくことで、信徒の不安をあおり、敵意を育て、不満の解消へとすりかえををしていたともいえるでしょう。
信徒には自分のところだけの教義しか聞かせず、他の情報に一切ふれさせず、自分の枠、教義以外は全てウソだアクマだと、それらにふれれば業を増やし、無間地獄に落ちるとでもいって脅迫してきたようですね。 これは、宗教の常套手段のようですね。
良い大学に入ったといわれる彼らも、結局机の上だけ、頭の中だけでの世界にしか住んでいなかったのでしょう。
そして、一般社会、現実になじめなくて、教団に入っていたのではないでょうか。
だすから、私がいつも言っているように、現代社会においては一般の者への情報操作もかなりのものがあります。
ですから、全てにみる目、疑問に思う知恵も感性も十分にやしなわねばなりません。
●まさにオウムのごとし
うちの長女がとある有名塾に遊び遊び2年近く通っていました。 子供は望む学校には入ったのですが、私は確かに失敗したと思いましたね。
うちの子はまだ遊び遊びでした。
同じ年のいとこが、ヒ−フ−と、テストにかけまわっている日曜も、しょっちゅう私といっしょに畑で芋掘りなどしてましたから。 後になって、塾にいかず、本屋でたちよみもしょっちゅうだったと後でばらしてました。
それでも、あれだけ本が読めて、生き生きしていたた子が、解答をオウムがえしに言い、短絡で考えなしで、アニメ好き・・・・にすっかり洗脳されたようです。
オウムもビデオをごまんとならべ、テープは呪文ののような言葉のくりかえしのようです。
しかし、今の受験教育や学校教育もこれと同様ではないでしょうか。
ゆっくりじっくり考えて自分の言葉で語ることをしているでしょうか。
子供の成長をゆっくり見守り待つことをしているでしょうか。
実体験を積むことをしているでしょうか。
とてもとても、内容の複雑さと覚える量の多さで、くりかえしの記憶でほとんど費やしているのではないでしょうか。
●感受性を豊かに・・・
頭で考えることが、全てかのような、まさに知識欲でいっぱいの人がオウムなど新興宗教にはまってしまうのかもしれません。
又、広く物事のみれない、枠の狭いい生真面目な方こそ、その新興宗教の膨大な知識を知れば賢く悟れるかのような錯覚をもってしまうのかもしれません。
受験勉強と同じになにしろ物心ついていらいの頭の使用パターンなのですから、オウム返しに記憶するなかで、自分で考えてみること、感じてみることを忘れてしまっているのではないでしょうか。
今、あたりまえを感じる体験の積みあげの大切さが、忘れられているように思われます。
悟れるのは、知識でなく、実体験から学べる感受性だと私は思っています。
知識に囚われるのでなく、広く世界に目と心を開き自分自身の感性を大切に生きていきたいものです。
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