
地震報告 第8弾
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地震報告 第8弾 10月通信 YUKI.I
「守られて、人の心の暖かさを知る」
アルジェリアテント焼失顛末記
●テントが飛んだ
わすれもしない、9月17日の朝でした。
私は、前夜に行きそこねたワゴンいっぱいのバザーの品物を17日の朝早く5時すぎに海に近い味泥町の仮設住宅まで運んでいました。 何の心配もなく・・・。
ところが、帰ってまもなくの電話が、同じくワゴンをもち、運搬係りもしてくださっている橋本さんからの電話でした。 彼も、その責任感からバザーの品物を朝の6時半ごろアルジェリアテントにとりにいってたのでした。
「YUKIさん、アルジェリアテントが飛びました。」
「エー!・・・」
●悪夢が現実に
事件は、前日9月16日深夜の11時半頃、今までにない大型台風(これも後で知った)が、大きく東京の方へとそれていった夜におこりました。
テントのすぐ横の仮設の方は、自治会長さん宅にテントが飛びそうだと伝えました。
でも会長さんは、台風もそれたし大丈夫だろうと判断されました。
又、私も前夜のうちあわせの折り、田口さんに「何が心配ってテントがとばないかとそれだけが心配ね」といいながらも
これまでの数回の台風にも心配しながらも大丈夫だったという安心感と、雨には弱いが風には強いアルジェリアテント(アフリカからの救援物資)という先入観でその不安を打ち消しました。
私たちも「でも台風もそれたし、大丈夫よね」と話していたのでした。
●テントは風にあおられて架線にショート
ところが、皆の予想を裏切って、みごとあの重い鉄パイプのあれだけ頑丈だったテントは途中のつぎめから北側がすっかり立ちあがってしまったのでした。
頑丈な基礎はそのままのこして、深いパイプの接続部分がはずれたのでした。
そして、隣を走る貨物列車の架線にショートして、燃え上がったのです。
一番に消火にかけつけてくださった4棟の金沢さんは、それこそ花火みたいにきれいだったと後で話しておられました。
ショートの時には、下のフェンスに一瞬1500ボルトの電流も走ったのでした。
フェンスの金網がとけて穴もあいていました。 しかし、幸いなことに誰もさわったりはしていませんでした。
●必死の消火活動
そして、燃えるテントのシートを仮設住宅のみなさんが、バケツリレーで消しとめてくださいました。
一番にかけつけて下さった4棟の金沢平二さんは、消火器からの泡も風でよそに飛んでしまうので、足で懸命に踏んで、消してくださったそうです。
そして、消防車がかけつけた時には、すっかり消えていたそうです。
消防と警察の現場検証には、自治会長さんがたちあってくださり、私には夜中に知らせても今さらどうにもならんことだからとご配慮いただいたそうです。
でも誰もケガもなく、住宅に燃え移ったりせず、本当に大事にいたらなくてすみました。
仮設住宅の4棟の皆さんのおかげでした。 皆さんが一体となって、消火活動をしてくださったのです。
私はうれしくて、有り難くて涙が出ました。
●懸命の修復活動
そして、それからが、保線の係りの方々の出番だったそうです。
夜中じゅう、修復作業に多勢の方たちが働いてくださり、切れた架線をつなぎ、朝にはすっかり復旧したそうです。
そして、私が朝、仮設住宅にいった時には、最後にNTTの方たちが5・6棟の電話の復旧をしていらっしゃいました。
普段見えない方々が、電気にしろ電話にしろ、困った時にはすぐに出て来られて、修復してくださる姿を見て、その有り難い働きにあらためて深く感謝しました。
あの地震の時の懸命の復旧作業の様子とも重なって、このあたりまえと思っている便利な文明社会を支えてくださっているのは、こういう普段は表にでない、多くの方々ななんだなとつくづくと思いしりました。
本当に普段見えていないところの大切さと重要性に今さらながら気づかされ、大変に有り難く感じられました。
●仮設住宅のイベントもあり
とはいえ、その日は味泥町の仮設住宅のバザーでした。
「ひまわりネットワーク」がいい出しっぺのバザーで、午後一時からですが、皆は10時ごろから準備にかかります。
共催の「灘中央地区ボランティア」の常盤さんのほうでも風でテントが一つひっくりかえり、今日の店はできるんかいなと心配なさっていたそうです。
とにかく、ひまわりネットは、店は″ぜんざい″だけで、バザーがメインでしたので、会場設定と品物をならべるのに皆懸命に動いて下さいました。
しかし、私はテントが飛んだ朝だというのに、小4の娘がNHKの「天才てれびくん」の収録があって、朝8時にうちのマンションの屋上から録画どりがはじまるのです。
そして、六甲の山をすべったり、遊んだりを撮って、灘南の仮設のご老人を訪ねて、そして、最後にお母さんのいるバザー会場に来るというセッティングです。
放映は10月26日(木)夕方6時教育テレビ「天才てれびくん」です。
ですから、祭りがおわって、5時近くになって、ようやくJRを訪ねていけたのでした。
●お詫びの行脚
まずは当日の朝に消化活動をしてくださった灘南仮設の皆さん方に私がお詫びにまわりました。
そして、夕方に、スタッフの5人でJRの駅に行って、どうしたらよいのかをききました。
すると保線の方々のビルを教えていただきました。 そこで、事故の詳細を聞かせていただきました。
何より幸いは夜中であったこと。
それも引き込み線の貨物の架線であって、山陽本線の方には、たいした支障はなかったこと。
しかし、貨物列車の方は朝の列車が出れずに待機していたらしいとのことでした・・・汗、汗、汗。
しかし、補修に関しては、丁度夜の11時頃すぐそばの東灘区でも事故がおこり、保線員の方々が多数出ておられたので、すぐ補修にまわっていただけたそうです。
私たちの頭はパニックでした。
私ももうこれで、ひまわりネットも解散だな、いやはや最後にバザーのお祭りと架線のショートの花火とでなんと華々しい終わり方かしらとみなで笑ってしまいました。
●皆さん方の暖かい心にふれる
そして、翌朝、皆とテント跡の現場に行きました。
すると市社協の吉原さんたちもこられて、これは天災だし、これにめげず頑張って下さいとなぐさめてくださいました。
そして、朝一番にアポイントメントをとって、その日はまず、神戸のハーバーランドのJR西日本旅客の方にひまわりのスタッフ5人(田口・前田・伊勢・橋本・yuki)で行きました。
そして、JR旅客の方々は事故の経緯をおっしゃつた後、有り難いことに、うちの方は実害はありません(そんなことはなかったようですのに・・)と言ってくださいました。
夜中に現場に飛んでいかれて、車からおりる時、突風であるけない程だったそうです。
線路に波板なども飛んできており、いやはや伊勢湾台風クラスの大型だったそうですから、これは天災ですからしかたありません。
ただ、貨物さんの架線ですから、そちらの方はわかりませんが、と言われました。
そして、最後にエレベーターまできてくださって 「皆さんもボランティアで大変でしょうが、頑張ってください」と元気づけてくださいました。
とても素敵な方々でした。 私たちはどんな難題が出てくるのかとひたすら恐縮していったのが、地獄に仏とはまさにこの心境でしょう。 とてもとてもうれしかったです。
●みるみる仏のお顔に・・・
次に、さっそく車を神戸において、JRで大阪にむかいました。
梅田にJR貨物の本社があるのです。 いよいよです。 行く前に皆で昼食をとりました。
こうして、食堂で食べたのってはじめてだね、と話しました。 いつもテントか、戸外でおにぎり弁
当ですもの。
そして、JR貨物さんに行くと、ぎょうぎょうしく、ファイルをもって、もっ体ぶったふうに並んで入ってこられます。
こちらは誰それ、こちらは弁護士代理・・・となかなかの凄みで、ああこれは困ったな〜と内心思われました。
そして、話をいろいろと始められて、大変問題ありといったふうにもったいぶって話されたのです。
そこで、私どもは地域の主婦とシルバーの全くのボランティアのグループであること、そして、テントの責任は全て私たちにあることなど、そして、思ってもみなかった風であったことなどを逐一丁寧に申し上げました。
すると、あれほど険しかった顔つきが、だんだんと柔らかくなり、目にもやさしい光がさしてきて、目の前の方の顔つきがみるみるうちに変わっていく様子がはっきりとわかりました。
そして、そういうご事情でしたら、うちの方には実害がなかったことですし!!
あとは、JR旅客さんの保線の方々が動いてくださった件の請求がこちらへくることだけが、気がかりなことです、とだけおっしゃってくださいました。
本当に人の顔って、気持ち次第ですっかり変われるものなんですね。
こちらの気持ちもあったのかもしれませんが、皆もその変化をはっきり見たといっていました。
本当に人って、鬼にも仏にも心次第で変われるものなんですね。
こうして皆さんの暖かい気持ちに触れあえたテントの始末記でした。
●人間ってすばらしい
最後に、橋本さんと二人だけでもう一度JR旅客にとってかえし、貨物の経緯を伝えます
と「それはよかったですね」とわがことのように喜んでくださいました。
そして「あれは地震と同じ天災ですから、うちの方では一切問うつもりはありませんから」といって下さいました。
感謝!感謝! 難あり有り難し、難あってこそ人の心の素晴らしさに気づかされました。
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