ゆきちゃんの世界
  * * * 阪神淡路大震災ボランティア * * *
地震報告 第14弾

ひまわり通信  地震報告第14弾!  YUKI.I  
                      
            
     
   しあわせ運べるように
             
           
  地震にも 負けない    強い心を 持って       
 
  亡くなった方々のぶんも   毎日を大切に 生きてゆこう 
    
  傷ついた神戸を    もとの姿にもどそう        
          
  ささえあう心と  あしたへの   希望を胸に      
    
    
      響きわたれ ぼくたちの歌   生まれかわる神戸の町に
        
      届けたい 私たちの歌   しあわせ運べるように
            
            
           
  地震にも 負けない   強いきづなをつくり       
           
  亡くなった方々のぶんも  毎日を大切に 生きてゆこう  
         
  傷ついた神戸を   もとの姿にもどそう         
                  
  やさしい春の光のような   未来を夢み        
                  
                 
      響きわたれ ぼくたちの歌   生まれかわる神戸の町に
                 
      届けたい  私たちの歌    しあわせ運べるように
               


 表紙の歌は今、ひそやかに被災地で歌われています。 ひまわりネットワークの″ふれあいコンサート″のテーマ曲です。 作詞・作曲は誰かまだわかっていませんが、とてもよい響きをもった美しい曲です。 
まさにレクイエムです。 あなたの″心の歌″は何ですか。 月1回仮設住宅でおこなう″ふれあいコンサート″で共に歌ってみませんか。
(ps.作者は臼井 真先生です。自身当時、神戸の小学校の音楽の先生でした)

<仮設は今> 灘地域助けあい・ひまわりネットワーク YUKI.I 
                        

 灘地域助けあい・ひまわりネットワークは、この冬はふれあい隊で各戸訪問をし、又各仮設の自治会づくりやふれあいセンターづくりに協力をしてきました。

心のアルバムづくりを

 寒い折りには、集会の折々に炊きだしも5〜6回しました。 惜しむらくは、写真好きなものがいないのでその記録はほとんど撮れていません。

しかし、皆の心にその楽しい印象はやきついています。 ひとつひとつのコマが人生の積みあげなんですね。 皆すてきなアルバムを心に作っています。

皆が喜んで手伝って・・
 
 一番忙しかったのは、3月10日でした。 輝く太陽と暖かい気候にめぐまれて、一王山仮設のテントでの自治会発足式が10時半に始まりました。 

その準備にひまわりの皆は近くから遠くから(といっても同じ灘区ですが)駆けつけてくれました。 

ここは、4棟37戸だけの小さな仮設住宅です。六甲山の中腹に近い不便なところにあります。 

先日もご夫婦とも入院という事態になられた方がいて、″ひまわり″でいろいろお世話させていただいたりしたところです。

小さいところは忘れられて

 規模の小さい仮設住宅なので、年末年始の見舞い金もあたらず、ほとんどお年寄りなのに他の仮設にはある日向でくつろぐベンチもありません。 

道路も舗装しないまま・・。 年あけに″ひまわりネット″が建てたテントが仮の集会所です。
 私は毎度トラックを運転し、坂の下の高羽の仮設のベンチを3つ借りにいきます。

 後はとりこわしの鷹匠中からもらってきたテーブルやイスを外にならべます。 
お日様の下はポカポカとして、光がサンサンとふる美しい青空でした。

 
有り難い気持ちに支えられて
 そして、ひまわりの和田登美子さんが、ご主人の入院中と小さいお子さんがいらっしゃるにもかかわらず、沢山炊いて下さったぜんざいに救援物資の最後のあんを全部くわえ、仮設2ヶ所分の甘いぜんざいが大ナベ2つ分たっぷりとできました。              
                        
皆で乾杯!   
 
 皆で一王山自治会の発足を祝って乾杯! 
とゆっくりいる間もなく、次は王子公園仮設住宅のふれあいセンター開所式が11時からです。 

 田口さんと抜け出し、途中仮設の酒屋さんでお祝いのお酒を買って、ちょうど乾杯にセーフ。

 王子公園も自治会婦人部が大活躍。テーブルには手づくりのごちそうが山とならんでいます。 
 日曜なので、役所の関係者が一人も来られなくて残念でしたが、皆和気あいあいと飲み会へと移行します。 

午後も前日にコープ神戸で借りてあげたカラオケセットでカラオケ大会がはじまりました。
                    

けん玉連盟の子供たちの訪問

 でも私は前日王子のふれあいセンターに来ていただいた″日本けん玉連盟″の方々と彼らを呼んだ″ほほえみボランティア″の方たちとの昼の会食です。

 ″日本けん玉連盟″会長の石川学さんは静岡県からけん玉少年たちを10数人ひきいて、仮設の子供たちにけん玉を教えに来て下さいました。 

おもしろくて子供たちだけでなく、大人も熱中してしまいました。
             
体験してみんとわからへん?!
 
 静岡県は東海地震対策のためにさまざまな対応をしているそうです。
 けん玉大会が終わってから、ふれあいの話になって是非地震の時の話をききたいとのことでした。 

 すると一年たった今だから話せると地震の際の凄い話がいろいろと飛び出してきました。
 実際の目にあってみなければわからへん、あんたらにはわからへんと語気のきつい方もなかにはありました。     
                         
話して楽になろう

 ふれあいセンターの副委員長の宮内さんもご自身の被災の様子や実際に助け出せなかった人の話など、顔は笑って心で泣いてというふうなつらい様子で話され、聞くほうも目が曇ってしまいました。

 まだまだ地震の話をするのはしんどいものがあるようです。 

 でもこうして話して出せるようになったらだんだんと癒されていくのでしょうね。
 話すことは放すことにつながります。

 心にためていないで、少しずつでも出せるようになると楽になってくるのでしょうね。          
         
 静岡から来ていた子供たちも特に大きい高校生が真剣に聞いていたのが印象にのこっています。   
           
地獄はどこに?

  田口さんも、すぐにお風呂に水をためてとか、厳寒の中ガレージ暮らしをする老夫婦のところへおにぎりを持っていくと、避難所の人間の醜さを見て「二度も地獄を味わいたくないから出てきた」と言って避難所からまた避難してきた。 

とか、庭で火をたいて暖をとっている人たちの話、そして夜中に救急車が来ていたと思ったら、寒さゆえかご老人が一人亡くなられた事などを話されました。               
 
サバイバルとボランティア 
 
 ふれあいセンター運営委員長の木村さんは、地震の後のどん底の生活の様子を話し、君たちも普段からサバイバルに生きることを心がけたらいいんじゃないか。

と、もうひとつ日々何かひとつでも生活の中でボランティアすること、人のために働いて喜びを分かちあうことを心がけていって欲しいなどと話されました。                 
             
いざという時に備えて
 
 私も大型ジャッキ・バール・のこぎり・かなづち・・・それらを戸外の手にとれる所に備えておくことも必要だと話しました。 崩れた家からはとても持ち出せないからです。

 又、米がいつも玄米で積んでいたこと。普段から貯えてあれば炊きだしにも心配のないこと。

六甲山の裏のお百姓さんと仲良くしていて野菜や卵に困らなかったことなど。 

普段から自然食のネットワークがあって、子供を避難留学させるにも、救援物資にしても助かり大変ありがたかったこと・・など、日頃の人と人とのつながりの大切さを言いました。

次は母親の目で
 
 他にもいろいろと話はでてきました。 なかなか聞きごたえがあったかと思います。
 石川さんとは今後の交流を含めて、又、私ども被災地の母親の目からの様々なことなどもお聞きになってはと申しあげました。 

 すると今度は母親同士の交流を図ろうかという話もでてきました。
 
 ふれあいセンターや仮設での人と人とのふれあいの数々は、皆が互いに多くを学びあい、自らを磨く勉強になるのです。 謙虚になればまわり全てが教師だとわかります。
 難あり、ありがたしの楽しい世の中だと私には思われます。
                      
                  
 <<大工隊が大活躍>>
★うちの大工隊の隊長さんは、はや還暦も過ぎたスマートな熟年の伊勢清二さんといいます。
″ひまわりネットワーク″にとっては伊勢大明神様々です。

 大工隊は大体シルバーさんと学生さんがほとんどです。 長期の休みになると必ず東京から単身赴任のお父さんのところへきてずっと手伝ってくれる北川英輔くんという感心な高校生もいます。
                
★月1〜2回休日の日曜にボランティアに来て、棚つくりをして下さる墓越さんは勤労好青年。 
2月のスキーツアーも若い彼が来てくれて大助かりでした。

 大工隊もはじめの頃は手すりや足台をはじめ、いろいろと作ってましたが、いまは屋内の棚と窓の外のひさしの2種類ぐらいになりました。 それがまた好評で次から次へと注文があるのです。 
 
 大工仕事のお好きな方どうぞボランティアにいらしてください。 大歓迎です。
 多少の交通費や昼食代も出ますから。
                 
★棚やひさしづくりも昨年まではボランティア値段で極安でしていたのですが、今年からは実費をいただくようになりました。 かれこれひさしもこれまで130枚くらいとりつけたでしょうか、そのほとんどが伊勢さん一人で作られたようなものです。 作り方の講習会もしました。

 他の仮設の方もみにこられました。 裏の窓や掃き出しにひさしがあると大助かりなのです。
 とりつけは金物用のドリルなどもいりますし、皆で手伝います。
                        
<仮設に仕事を下さい よい知恵も・> 

 大工仕事を仮設の職のない方のおかず代にという構想を只今検討中です。 
たとえひさし作り一枚につき500円でも支払えれば、体調もまだまだで外に働きに出れない方や、
でもタバコ銭なりおかず代にもなるかもしれません。 木の枠に波板をはるだけの簡単なひさしですから女性にもできます。
 
 仮設では地震で職場を失った方も多くおられます。 何か内職はないかなという声をよく聞きます。                  
 
 仮設で何か仕事になるもの、お金になる工夫でもありましたら、ぜひお寄せください。
 皆様の知恵を貸してください。

<種蒔き隊に来てみませんか>

 そろそろ桜の花もほころび、仮設では来週が花見頃です。 
″ひまわり″もそろそろ種まき隊の出番です。 土嚢の袋に六甲山の土を入れてこようっと。
 種はプランターで育てるつもりです。 花に関する資金などは朝日文化厚生事業団からいただける予定です。 有り難いことです。 

<南光町のひまわりを神戸中に・・・>
 
 今、ひまわりの種は沢山あります。 ほしい方にはどんどんさしあげます。 
 これは須磨区の荒井さんという、通称ひまわりおじさんが兵庫県の奥の南光町で育てさせたものです。

 彼も震災の時、ひまわり温泉やひまわりサロンで大活躍した方です。 

 昨年末にはかねてよりのエッセイを集め「笑いのセールスマン」という本を出されました。

 ひまわりは小さな花一つ一つがしっかりより集まって大きな一つの花を咲かせています。

 私たちも一つ一つの小さな花をせいいっぱいさかせ、また素敵な種になれたらと思うのです。

 一粒万倍です。 今年こそ、今のうち灘区のあちこちにひまさえあれば、スコップ片手にひまわりの種をまいていこうと考えています。 

 だれかこのタクラミに賛同の方ひまわりの種と小さなスコップをプレゼントします。 連絡下さい。

<普段からそなえありで>
 王子仮設の木村さんの言われたように、普段からボランティアをしているものにっては、いざという事態こそ実力発揮できる時なのです。 

  私なぞ、震災でますます元気な池邊さんと言われて、日頃を知らない人からは急に元気になった怪物のように思われて、元気ですみませんってあやまらなくちゃだめみたいな言われ方で苦笑することもありましたね。

 普段の私をよく知ってる人はさもありなんと分かってくださるのですが。 何事も急にはできないってことですね。 備えあれば憂いなしで・・。  
 
 皆様、花の種や苗、余っているのがあったら″ひまわりネット″あてにお送りください。
 活用させていただきます。

<大分から苗木が2000本>
 
 3月23日の早朝、6時前に六甲アイランド埠頭に大分からのフェーが着きました。

私も朝一番に迎えにいきました。 
じつは、大分の″出会いの村″の方々が、3000本の復興の木と一緒に総勢53名乗って来られたのです。       
 
  <出会いの村>
 出会いの村、それは大分市の安東静夫さんが、数年前から自宅の上のアパートを開放し、様々な取り組みをしてこられていたものです。 

 この方も阪神大震災以来、八面六臂の大活躍です。 震災後はやくから200名近い被災者のご老人を大分の温泉旅行に招待されました。 

それを2回と、昨春には苺狩りに子供たちを十数人、昨夏には、大分ホームステイとして、被災地の子ら100人を10日間招待してくださいました。 

  <復興の木>
 そして″復興の木″として、九州各地の人たちに苗木を一本千円で買っていただき、メッセージをそえてもらい、焼け野原になり、崩壊し神戸の地に緑の木々をという遠大な構想で、今回で第三弾です。

 この木には、″出会いの村″事務局の糸永先生という工業高校の先生と多の生徒のボランティアさんたちのご苦労も沢山こめられています。 

 今回の地震でも、どれだけ木に助けられたことか。 崩れる家を木が支てくれました。

昔から人と木と土、そして水と日は友であったのです。 それをどうして平気で引き抜き、コンクリー
でおおい心ないことを山としているのでしょうか。 又、いつの日か人はこの復興の木に助けられる時がくるでしょう。

 今回はこぶしとけやきの2種類だけです。 ″ひまわり合計350本もいただきましたが、けやきは、まだ多少残っています。

 欲しい方はおっしゃって下さい。 今度の休みに″ひまわり″でピクニックに行って、20年後のけやき並木を今のうちにこそっと植えてみようかと皆で密かに画策しているところです・・・。        
  
 <北海道・神戸・大分>        
 今回丁度、北海道岩見沢市の駒沢大の萩原義雄教授が用事できておられました。 
そして、23日には、北海道より寒いという神戸の風のなかで立ちっぱなしで一日中、一緒に苗木くばりのボランテイアをしました。
                
 萩原先生は、この2月に灘区の仮設の子たちを北海道に招待してくれた仕掛け人です。
萩原先生は″志士リリトリア″として、震災後はいちはやく来られ、鷹匠中でずっとボランティア
をなさっていた方です。
 
  彼も震災のために急遽カンボジア行きのボランティアを神戸に変更したそうです。
そして、萩原先生のゼミの学生たちも北海道から神戸へボランティアに来て、大きな学びをしたそうです。 そして、その学生さんたちが2月に仮設のこどもたちを北海道に呼んでくれたのでした。
             
  <鎮魂の子供神楽>            
 長田区の大国公園では、苗木くばりとあと大分から″子供神楽″17人のこどもたちが、はなやかな衣装と鈴の音でお神楽を舞いました。
。 
 周囲のほとんどがまだ焼け野原の中での神楽は、まさに鎮魂の舞でした。 この地を浄化するかのような清新な踊りに、亡くなった方々への祈りと新たなる復興への誓いを強く思わされたことでした。
 又、仮設の舞台では、地元の太鼓集団「輪田鼓」や「MAYA」のフォルクローレ、兵庫朝鮮歌舞伎団の踊りなどが披露されました。   
                 
  <ちいおばさんのがらくた座>  
 
 翌日24日は王子公園仮設住宅のふれあいセンターで長野から、たった一人の人形劇団の座長の木島知草さんが、お子さんと一緒に、又被災して以来長野に住んでいる絵描きの能勢伸子さんもいらしてくださいました。 
 
ちいおばさんも昨年の7月から3、4回神戸に慰問にきてくださっています。
たくみな話術で、かわいいボロから作った人形たちが生き生きと生命をふきこまれて動く様子に子供たちは大喜びしていました。 当日は朝からバザーで午後が人形劇でした。 ここのところ毎日曜日にいろいろ予定がはいって、主婦にとっては大変なところです。
。               
  <黒田の庄の川下り>          
 北海道の萩原先生の今回の予定のひとつに加古川のいかだ下りのお祭りの調査がありました。 
今回の調査を夏の  石狩川サミットに役立てようとなさっているのです。

 この夏に又神戸の子らを北海道に呼んでくださるのでその時のイベントにもできそうなので、先生をご案内することにしました。 
 
  加古川は下流の方はよく知っているのですが、上流へと逆のぼり、どんどん奥へと向かうといつのまにか日本のへその西脇市も過ぎてしまいました。 さらに奥まってようやく黒田の庄に着きました。 風光明眉な土地柄です。 古く由緒ありそなお寺が沢山あります。

ここで、年に1回いかだ下りが催されている
のです。 今年も7月の最終日曜になりそうだとのことでした。
               
  <なつかしい風景>
 町役場の方にいかだ下りのことをいろいろと聞き、上流でも豊れを持つ一級河川加古川のすば
らしい姿を見ることができました。

 自然のままの土手には、つくしも出てきそうです。 かわらには笹もしげり土手の上はうつくしい桜並木、背景のみどりなす山々・・・昔ながらの典型的な、日本の美しい川の風景がそこにはありました。
 なつかしい郷愁にひたりながら、夕日を映す美しい川面をみながら街に戻ってきました。

まだまだ日本は健在でした・・・。
                
   <地球学校>
 帰りに海に近い高砂市の地球学校によりました。 ここは、学校に疲れた子供たちの憩いの学校です。

 もう創立以来10年になります。 現在は素晴らしい尾鼻先生の下に中高生が数人滞在しています。

 創立者の児島一裕さんも十数年来のつきあいで、毎年一回アメリカのフリースクールツアーをしておられて、日本でのフリースクールの草分けの人です。

  地球学校には、丁度畑さんという写真家の方の震災の写真のパネルが50枚ほど着いたところでした。

 北海道の萩原先生は地球学校に泊まられたので、そのパネルも今度は北海道まで行くことになるかもしれません。

 春休み、うちの小学生のmは後半を″元気村″に泊まりこんで元気にボランティアしています。

 ひまわりも毎日のようにボランティアの用事が入ります。

 仮設も一年を経て、落ち着いてきたかにみえますが、見えないところでは、ますます問題は深くなってきているように思われます。

 一人暮らしのご老人の方々の問題をふれあい隊で聞いてきて、そのフォローをどらようにしたらよいか、スタッフは頭をひねり、知恵を出しあいます。 

まさに21世紀の高齢者社会の先どりの問題が山積みです。

 これまで放っていた問題も地震を契機にふきだしています。 又地震で職も失い、或はたっしゃだと思っていた体もガタガタになり生活が総くずれで、福祉の関係へと話をすすめる方も多くいらっしゃいます。
 又、知り合いの弁護士のボランティアさんにもお出ましを願っています。 なかなか一人暮らしのご老人にたいしては、公ではとてもには尽くせません。 みじかな手助けは是非とも必要なところです。

 年をとるということがどういうことか、ボランティアをしていると山のことを教わります。
そんなこんなをコーディネートしながら、細かな用事をひとつひとつ当事者の心は十分にケアしながら、自立を助けるべく対応をしていく。

 不思議と子供と一緒で、わがままだと感じても一度受け入れて、してあげるとつぎからはスッとご自分でなさったりできるのです。 気持ちがわかってもらえた、それだけでもうれしくて、次からはしてみようと気力がわいてくるのではないでしょうか。

 どんな方でもまずはその気持ちがわかってあげれる、それが、皆と共に生き、歩めるボランティア愚骨頂ではないかと″ひまわりネットワーク″は毎日楽しく、苦労も楽しみながら、皆で人生勉強させていただいているのです。


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