生きがい
|
魂の生命の輝きの周囲にあるこころは、何も思わなければ、<無>です。
これが、無心じゃないでしょうか。
しかし、この<無>は何もないのではなく<全てある>のです。
無心になれば、全てと通じれます、響きあえるとわたしには思われます。
木の声だってきけます。<助けて 助けて>って、聞こえる
から、どうしたのかとよく見ると、生垣の木全部に
若い頃の支えの棒に針金できつく縛られたままで、
それが茎にくいこんでしまい瘤みたいになりかけてて、とても痛がっていました。
とりあえず、針金を必死ではずして、大手術です、よ〜くなでてやりました。
後々みたら、すっかり元気になって、よく育っていましたよ。
わたしは、今、中2の娘を宿した時も、生命の光りを見ました。
子供が欲しい!・・・と、
そして、受精した瞬間だと思うんです。
わたしは 静かに上を向いて横たわっていました。が、
暗い部屋でしたが、わたしは、確かに、目もあけて、
意識もはっきりして、起きていました。
すると、天空の彼方から、ヒュ−っと光りの束が矢となってやってきて、
わたしのおへその下のあたりで爆発したんです。
それは、直径45cmくらいでしょうか、
その光の矢は<するどい閃光>をはなって爆発したんです。
すると、つづけざまにもうひとつ高い天空から 同じように光りの矢が
凄いはやさできて、も一つ爆発しました。
今度は、柔らかなサラサラキラキラとした美しい爆発でした。
あっ、見えた! 子供ができんだって分かったんです。
上を向いたままでしたが、そのお腹での爆発の光は、
わたしには、はっきりとありありと観えたのです。
二つの光の爆発に、最初はふたごができたのかな? と思っていましたが、
1人だけだったので、その光りが、最初は「生命の陽の光」
そして、つづいてきたのが「生命の陰の光り」であることが後で分かりました。
そして、生命は陽と陰の光りが合体して、生じるということが、
わかりました。
その生命の光りこそ、わたしが頭頂から透明な輪となって抜け出て、
収縮し、無となって大爆発した、その<生命の燭光>と同じものであると
わかったのです。
規模こそ違え、まさに<生命の輝き>そのものなのです。
肉体にとっては、至福の大歓喜である生命の喜びである光りは、
この世のどこにも、まして、自分のこころの奥底に魂として、
全てにみちみちているのです。
ですから、みなは、人の臨終にかけつけるのです。
|
|
|
Copyright 2006 Spiritual Peace Musician Ikebe Yukie , All right reserved.
|