ゆきちゃんの世界
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宗教とは

仏陀の生まれ変わりいう教祖は多いですね.
なにやら古代ヒンドゥ−語でしゃべられる信者もおられたとか、天使も出現とか・・・
それって・・・すごい集団催眠的のように思われますね。

偽者作り出すロジック(論理?)って?
恋愛の結晶作用みたいなものでょうか。
それか、宣伝効果とか プラシ−ボ効果みたいとか・・・

そういう宗教共同体にいるとみなおなじ目的や目標が持ててうれしいのかもしれませんね。
この阻害されることの多い世間からみると甘く暖かいような誘惑があるのでしょうか。

いわゆる孤独や疎外感がなくなるのでしょうか。
何を心地よいとするかは、人それぞれなんでしょうね。  

わたしはメロンや異性、ましてや脅しながら人を支配しようとする人には
全くほだされませんね!
人を惑わすなんて相当な罪作りだと思っていますし、
ポアするとしたら、まず自分からあるべしでしょうね。  

わたしからいえば、宗教が何故あるのかといったら、

人間それぞれが違うように、
救われる方法も、癒される方法も
人それぞれだと思うのですね.それまでの生育暦もあるでしょうし。

ですから、”自分で解決”ということをしてこなかった人たちは
自分の居心地の良い、思考をかわりに引き受けてくれて、
甘えを認めてくれるところを、あるいは認めてくれて叱咤激励して
鼓舞してくれるところを求めていこうとするのかもしれませんね。

たとえば知的探究心旺盛の求める人には沢山本を読ませて
知識を沢山教えてさせてくれるところが、
自分を満足させてくれるところでしょうし、

情の人は偉い偉いよくがんばった、あんたは悪くないと、
みんなで肩なであって、泣いてくれる
そんなところにいくと救われた思いになるでしょう。

意地っぱりでうまくいかない人には、
かくあるべきだから、もうひとふんばり頑張ってこの修行ができれば
あなたは悟れる選ばれた人だってプライドをくすぐるのに惹かれたりとかね。

他を頼っている限りは・・・
自分の黒雲をすこしでも散じてくれるものや
自責の念をすこしでも軽くしてくれるものに
響きあって惹かれて、脅せばお布施も出すのでしょうね。

ところが、自分自身に気づいて、反省して、
原因がわかって、気鬱もすっかり散じて自覚自律して自覚し自立してしまうと、
幸せになってしまうと来なくなる・・つまりお布施が入らぬ・・・

だから、一般的な組織化してしまった宗教は
本当に自覚し自立した人間として気づかせようとするのでなく、

自分は弱いから、だめだから、信心をやめると
障りがあるとか脅して自分自身への信頼でなく、
その宗教への信仰をすすめてゆくんだろうね。 

しっかり宗教色のヴェ−ルで覆い囲って
世間の風にあてて気づかないようにしたり、
世間への偏った解釈で洗脳したりして、
自分本来の輝きを奥深くに押し込めてしまう・・・。

いわゆる宗教にはそのような
自ら自覚すれば救えるるんだという自分自身へ自信や自覚、自立や信頼をもたせないよう、

頼ろうとするこころに対して、ほいほい甘やかしたり
逆に脅して、手なずけようとする そういうところが
多分にあるように、わたしには思われますね。

ま、こういうことは多くの人が気づいているでしょうが,
はまって洗脳されていると気づけない人が多いようですね.

ですから、信じてることに対し、そりゃ違うと言われて、
何故人がそういうのか、自分で考え始める
そこから洗脳は 解けていくのでしょう。


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