
あたりまえのことを
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Bさん、おはようございます。
>高橋信次は、人間の真我は皆神の子であり、偉大な存在であること、
>そして八正道によるこころの調和の実践により、真我を表現することを
>説いていたようです。
>高次元の世界では人間は皆兄弟であり、そのことを現象界においても
>現わすことが大切ということのようです。
ほほう、高橋信次さんは、ごくごくまったくあたりまえのことを説いておられたようですね。
わたしもピアノを教えているんですが,
そのあたりまえで必要なところで必要なことをしていればいいんであって、
そのあたりまえができないから、おかしくなって弾きにくくもなるんだと・・
昨日もそういってレッスンしていたんですよ。
ただ、そのあたりまえというのが、わからないとね〜〜〜、
無駄なことやいやみや・・・
いろいろ不必要なことをしてしまいがちですね。
だから、それらを無駄を削ぎ、たりないところを補い・・それがレッスンなんですね。
高橋信次さんは、脅しや自己嫌悪を増長するものじゃないようですね。
五井昌久さんもよく聞く方ですね?
出口オニさんはけっこう神がかりだったとか?
出口ふみ?さんが、お筆先とかになられたといっても・・
ふみさんはそれなりの神道的なお家柄で
やはりDNAの中にそのような宇宙の摂理に関する感性や
祖父からそのようなあまたの語彙の洗脳はうけておられたようにも私には思われるのですね。
>彼らは勘違いもしていますが方向は間違いではないでしょう。
>あくまで私の好みですが・・・
教義については全くしらないのですが、
たとえば、この世は
全てを黒白も善悪も全てをふくめてOKである、
しかし自分の内なる神を信じて真我いうものに出会うためには
それなりに自分の内のそれらに出会って決着をつけていかねばならない、
もし、そのような方向性でしたら、多分わたしの考えも近いように思われます。
ってったって、ほんとあたりまえのことなんですがね。
>一種の自家中毒、特に新興宗教の教祖方の持病!
ありそうなことですね。
オウムはビデオやひょっとしてビデオのあいまに麻原の顔をはさんでたりして・・・いやマジで
これってなんていうんだったかしら・・・
あの映画館のポプコ−ンの話・・・サブリミナル??
幸福の科学は大学に入る受験勉強しかしてこなかった若者たちに
大学にはいったものの、目標を見失ったその虚しさから
本当の自分ことは・・と自分自身に気づこうとするためにいろいろ実践して苦悩する前に!
またまた、出会いを深く考えないままに
次なる目標、新たな餌である宗教的な本をどんどん与えて
中毒になっていた活字に再びありついてほっとさせるとか・・・
いろいろ偽者のロジックは大衆のこころの弱点をたくみについてきているようですね。
>心地よさの中の住人は、それが真実を歪めているという自覚無しに、
>一切の真実を我見たりとして他の意見を受け入れません。一種の自己満足です。
そうですね。そういうのを盲信というのでしょうか。
それって、恐いですよね。
自分を客観的に見れる・・・それがまず第一歩でしょうか。
そして、あいての気持ちにもなれる・・・それもまた次の一歩でしょうか。
そしてまた、それらを冷静にはかれる
第三のものさしをもつことでしょうが、
それらが偏った見方であっては正しくはかれませんね・・・。
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