ゆきちゃんの世界
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乗馬

生命の息吹が肉体とこころいう馬を御す 

Bさん、こんにちは。
今日はピアノの調律の日なのでゆっくりPCの前に座れます。

>「ブラウマのみが実在、宇宙は存在しない、私たちは全てブラウマそのものである」

ブラウマンというのが宇宙神?だと教えてくれる方があったのですが・・・
“ブラウマ”とは なんでしょうか。

“宇宙は存在しない”とは?

つまり 宇宙とは、ブラウマ(・・・多分生命のエネルギ−じゃないかしら)
つまり生命の息吹かな・・・・

それらの存在しているスペ−スを宇宙と称しても
宇宙そのものの実態は無い と
そういうことかしら。


そして わたしというものの生命の現れが、肉体だけでは決してないように・・・
こころも精神もDNAの記憶もすべて生命のなせる影であり、雲であろうか。

見える宇宙の背後には 見えない宇宙、生命の内なる大宇宙と
呼応する大宇宙があるようにわたしには思われるのです。

いわば虚の宇宙 諸行無常の世の中とでも申しましょうか。

見えているものなんぞ 
ほんとにごくごくごく一部にすぎない
そこに気づいてこまやかに接していかないと
見える宇宙も地球も木々も生物も
全てはその生命の響きの中に生命の息吹の中で
互いに感応し響きあっているようにわたしには思われるのです。

“私たちは全てブラウマそのものである”

ふむふむ、わたしが思うに、与えられた生命の息吹がたまたま
多少の形をともなって、その肉体に顕現しているにすぎない。
本当のわたしたち自身は何かというと じつは生命の息吹でしかない。
ブラウマとは生命の元になるもの息吹?
魂?生命の種 根源といえるものかしら。 

しかし、その肉体といういわゆる物質的な囚われの中に居るが故に、
そこからの感覚やこころや思考、感情までもが、
そこの次元で囚われてしまい、自らこころに精神に枠を作ってしまい
汲々と苦しんでいる。

とまあ、わたしなりの解釈では、
わたしたち自身である生命の根源である魂
それ以外のものを全て分析して明らかにするならば
なんの心配や苦労があろうかと・・・

わたしたち自身の根源に気づけばただの点であり天であり息吹であり
ましてや目に見えるものではないのですから、
なにも囚われることはいらない。

むしろ 後でBさんが
“そなたはそなた自身の法灯であるべきである。”
と、おっしゃっているように

とりあえず生命の種をやどす肉体とともにあるわたし・・・

その肉体ももちろん私自身であるのですから、
私がこころが精神がくらい夜道に迷い込まぬよう
つねに根源からの生命の息吹でもって塵をはらっていかねばと
そのようにわたしには思われるのです.。

もちろん、その肉体や心、思考、精神を上手くのりこなすのに
誰しもいろいろと苦労はするのだが、

目をあけて乗るのか、つむったままで乗るのとでは苦労も喜びも大違いだろう。

そこに気づいて目をあけてまわりの景色をみながら乗れるなら
こんなに楽しいものはない。
そのようにわたしは思っています。


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