ゆきちゃんの世界
  * * * つれづれなるまま * * *
欲こそすばらしい

1996.1.1
(本物を感じる会通信 1月号) YUKI.I



自分を愛することから全ては始まる 
   欲こそすばらしい 
       欲こそ生命力の発露!


 人は思春期がきて、自我が芽ばえてくると、利己主義になります。 生きる欲が増大してくるからです。 あれも欲しい、これもしたいと、自分が自分がの気持ちでいっぱいになります「我が利・ガガーリン」の時代です。 誰しもその心あたりはおありになるでしょう。
現代はまさに宇宙ロケットが飛んで以来”我が利”の時代です。

 しかし、これは人間として生きるはじまりです。 欲こそ生命力の発露です。
どんなに枠外のことでも埒外のことでも、又ささいにみえることでも、特に子供にとっては、それらを欲する気持ちはあたりまえのとなのです。
けっして馬鹿になどしないで、できるできないにかかわらず、大切に真面目にうけとめてあげることがまず必要です。 

 欲をもつことはすばらしいことです。
欲こそその人のもつエネルギー量ともいえるものなのです。
子供の意欲をみとめ、できるだけそれがかなうよう大事に対応してやること、これは子育ての基本です。
 同時に、自分の感情や気持ちを大切にして認識できるよう、まずは 自分に対して素直に育つような心くばりも必要なことです。

我慢していると我が慢心します。
人間として、まず欲がかなうこと、求めるものが得られることは、生きる喜びにつながっています。

勿論、我慢も大切です。
しかし、我慢すればするほど心の中で我がふくらんでゆきます。 
我慢を強いられるとかなわぬ思いが、恨み妬みとなって心にむくむくとわいてきます。
 ですから、へたにはやくから抑圧したりしないで、まずは欲を大切にしながら生きていくことから生命は始まると私は思っています。
 そして、人は自分自身の本当の欲を知った時、より本質的な欲なり喜びためには我慢も、努力も喜んでできるようになるものだと私は思っています。

口だし無用!
  そうあなたはそうしたいんだね。 
    すてきだね! すばらしいね!
       心からの感動 それだけでいいんです 
 
よくある言い方です。 「そう! あなたの気持ちはわかるわ」
「ほう! あなたは、そうしたいのね。」と、ここまででいいんです。 
あとはその人自身で考えて解決するべき自分自身の問題ですから。  

ところが、親とか心配しすぎる人、おせっかいな人は、そこに自分 の枠を押し付けてしまいがちなのです。
とやかくああしろこうしろ、こうしたらよいとか、これはいかんとか、いろいろと口出しをしがちなんですね。
すると言われたほうは″自分で選んだ″″自分でした″という実感が薄れて、成功しても自信や喜びにつながってきにくいわけです。 

 あの人に言われたからとか、あの人が言ったからとか、うまくいかなかった時の逃げ口上にもなってしまいます。
又、わかっているのに言われるからかえって反発してしまうことなども思春期にはよくあることですね。
 欲が大きいほど大きく成長する可能性を持つ。
しかし、欲ものばし放題していると、そのうち、人を押し退けてでも奪いとり、自分の欲を果たそうとします。
それは「わがまま・我我魔魔」の時代です。
そして、そんな我がままを放ったままだと角になり、どうしても周囲とぶつかってケンカになってしまいます。
しかし、欲が大きい人は、それだけ何かができるエネルギー量が大きいということなのです。
欲が大きければ大きいほど、人一倍大きく成長できるエネルギーと可能性をもっているといえましょう。

非行少年達もそのエネルギーをもてあましているのです。
欲をすなおに育てれなくておしこめられたり、馬鹿にされたりして ありのままをうけとめてくれる人がいなかったのでしょうね。
すねたり、ゆがんだりしてしまうとそのエネルギーの出方は周囲を困らせるようになりかねません。 

 私自身、思うようにならない 時期、困って腹がたってしかたなかった若い頃、ひたすら囚われないように、囚われないように「スナオニ・スナオニ・・・」を念仏にしていたことを思いだします。 
でないと心が暗いエネルギーの渦にのみこまれてしまいそうに感じたからです。

 
難あり有り難しで、ぶつかった時に上手な聞き役や調整役がいて、自分の欲を吐き出せる場、聞いてもらえる人があるといいですね。
又敵とみる相手の気持ちも分かってあげれるくらいに、互いに自分の欲との兼ねあいを調整してゆけるよう努力してゆくことが、人間として一歩ずつ成長してゆくことではないかと私は思っています。
 賢い聞き役になれる親はすばらしいですね。 
そして人として、賢い聞き役が一番で、調整役や信頼のおける助言者にもなれるといいなと思うところです。


欲を大切にそだててほしい
 
子育てにおいては、小さい頃から一方的に我慢させ たり、親の基準を押しつけたりしないでほしいですね。
 自分の欲と人の欲との対立があってこそ、或は自分と物とのさまざまな関係のなかから自分の気持を掴むとを学んでいけると私は思うのです。
だからこそ″人間″だと思われます。 
心というものは、他との関係性において、湧き起こるものとも言えましょう。

 アメリカなどでは、各学校にカウンセラーがいます。 生徒が問題をおこした時、直接権威も権力もある先生と、ものの言えない生徒が向かいあうのでなく、又先生対親でもなく、直接利害関係のないカウンセラーが間にたって双方の言い分をきいて、うまく問題解決の方法を考えていきます。
 そうすれば、それぞれが自分の言い分を十分に言えるし、そうして思いを全開していくなかで、実はもっと深い自分自身の一番のぞんでいることに出会うことも多々あります。
 又相手とおりあう色々なテクニックなども示唆してもらえるわけです。


悪は人の造りだした想念です
            
人は誰しも自分が大切です。
しかし、唯我独尊でありながらも自他ともに同じ価値をもつ存在であることに目覚めていない人は、ガガーリンや我我魔魔をしている人をみて腹をたてたり怒ったりします。
 勿論、人に迷惑かけたり、傷つけたりしていても気づかない相手では、なんとかせねばなりませんが。
 エゴイストの勝手な狭量な考えで中傷されたり意地悪されたら腹もたちます。
 しかし、それも、それぞれの人間としての″進化″の段階がみえておれば腹立ちもおさまります。
まだまだみえてないのねと分かれば、仕方のないことでしょう。
或は、相手の気質の癖を理解すれば、こういう人だからねと腹だちもなくなります。


気質を知って楽しみましょう 

誰も赤ちゃんに腹をたてないでしょう。
それと似たようなものです。腹をたててるうちは目クソ鼻クソです!!?

 じつは、自分のうちに、その腹の立つところと同じものを持ち合わせているから、ひっかかって、気になり、腹が立つのです。
いろいろな気質の癖を知ることは理解して許しあえる目安になります。 

 又、気質の性能を知ることは相手のすばらしい才能をみつけたり、喜んで認めてあげれたり、秘められた可能性を信じれるようになることです。
 そんなふうに人の良い面、悪い面がいろいろとみえて、気質のあらわれと納得できてくると、とても楽しくてワクワクしてきます。

 気質人間学によって
    ″人間の内面の原型″を知ると  
          見えない世界が見えてきます。

 気質人間学は、無意識の世界をきちんと概念化して構築しているものだと私は考えています。
 それも日本人の気質にかなっているのでとてもよくあたっています。
 自分の心にわくもの、自分を行動させるもの、それらが、如実にどのように湧いてくるものかが、わかり、自分が気質のどれを出しているのかが分かるようになってきます。

 又気質人間学を知ると、他の人の掴みにくい心の面も、予想しにくい行動面も、つい腹のたつ癖などもその気質故の原因や心の向きや動かし方等が、ありありとみえてくるので不思議と腹がたたなくなります。

子供をおこらなくなり、内的な心の気持ちの話し合いもよくできるようになります。
それは、みなが一番に不思議ねというところです。

 何事も過ぎると裏がでるものですから、良いも悪いもじつは表裏一体だということもよくわかってきます。
ですから、ネガティブもすぐさまポジティブに変換できるようにもなってきます。


   人の心の思いが
        この世の悪をつくりだす     
 
 見えない内面が理解できないうちは怒ったり、腹たてたり、嫌ったり、憎んだりしてしまいがちです。 
或は、思うようにいかない自分、できない自分が情けなくなって自分自身も憎み嫌い自己嫌悪に陥ったりしします。
 でもそれは自分というものがはっきりとつかめていないからなのです。 又、自分がつかめないうちは、人のことが気になるものです。
 できる人、持てる人を羨み、嫉妬する思いも出てくるでしょう。
 そうして、皆の心に悪がはびこってくると、世界も悪の想念のやりとりで悪循環となるのです。 
ある意味では、世界に戦争や憎しみがまだまだあるのは、一人一人の心が平和で明るいものになりきっていないからです。
他に問う前に自分自身の心のあり方が問われるべきのように私は思っています。


アクもでてきてこそ掬われる
 
 しかし、悪はおし込めてしまえるものではありません。
思いは押し込められたり、あるいはその思いを
強く願ったりすると念になって強いエネルギーを発揮します。
とくに悪い思いのマイナスのエネルギーは周囲の人だけでなく、自分にも大変な悪影響を与えます。
人を呪わば穴二つです。
思いの違いによって様々な種類の病気にもなりやすいのです。

 悪は上手に出すことです、発散させることです。 自分なりのストレス解消法を持っているといいですね。
″本音が言える場″や″友″を確保しておくことは心の健康にとってとても大切なことです。 
スープのアクも浮いてきてこそ掬(すく)えて捨てられます。
 心のモヤモヤした思いも言葉に出してはじめて、何だったかわかることも多いのです。
そしてその原因がわかれば解決法もみえてくるものです。


 悪は悪いことではなく 何か素敵なことを
  握めるチャンスなのです。 
      悪を有り難い事に変えていこう

 自分の中の悪を素直に認めましょう。 きちんと認めてあげれるようになることは、すでにその悪のドツボやトラワレから抜けれたことです。
悪だから 嫌だではなくて自分にとって今まではいたしかたないことだったのだと自分を慰めてみましょうか。 そして、悪と思われるその原因を考えてみましょう。
自分の心、人の心を冷静に客観的にみてみましょうすると、原因がみえてきます。
 そして、悪にみえる事も悪だとしてしまわないで、気づくために出会えた有り難い宿題なのだと肯定に考えてみましょう。
 有り難いことだと感謝ができるまで、その原因を追求してみるのです。
 何事もポジティブに見ていくようにすると楽になり、囚われにくくなるように思われます。

気質の癖がそうですが、肉体を持っているかぎり、癖もあくも出てきてあたりまえなのです。 
でもそうした自分の癖が、自分で客観的にみえてくるようになると、又意識して捨て去ることもできるようになるのです。 


悪の気持ちに囚われるとますます苦しくなる
       
 悪の想念は苦しい寂しい辛い等々、″孤独の世界″″不信と猜疑心を造りだしていきます。 
自分の内の影の部分″悪魔″や″悪霊″を呼び起こすのです。 そうして得意とみえる顔もその裏に寂しく空しい心のあることを知らされるのです。 
そして、ふと後ろをふりかえったり、周囲に自分のせいで苦しむ人を見たとき、そんな自分をわがままで醜いと考える時、またまた自己嫌悪に落ちいります。
そして、自分の利を求める心を悪といこんで、そんな狭量は自分を恥じたりしながら、欲とエゴと本心と真実と・・・・様々な葛藤の中でフィードバックをくりかえしながら人は成長していくのでしょう。


利己主義こそ博愛にむかうスタートです
 
 自己を愛することの多い人ほど、又多くを愛せるようになると思われます。
バリバリのエゴイストほどそこを抜けるともっと大きな広い愛を持てるようになるのです。
又、その自分自身の欲をとことん追及する時を経ねば、本当の愛に出あったとはいえないのかもしれません。

自分自身を大切にし、愛せる人でなくて、他の人を愛し大切にすることはできないとも思われます。
利己主義者をエゴイストを批判しないで、その思いはしっかりとうけとめてあげましょう。
 そうすれば、その欲もねじまがったり、すねたりしないで、いずれ人の気持ちも図れることにも通ずるかもしれません。
 人の為と書いて″偽″です。
あなたの為よというのはウソが多いですね。
実は自分の為なのに気づかず言っている人が多いようです。
自分の為だからこそ人は動けるのです。
自分自身を問うことなしに動くのでは偽善です。
たとえ純粋に人の為であるといっても、そうして尽くすことの自分の喜びをみい出しているのではありませんか。
又、かりに自己犠牲だとしても自分で選び決定したものならば、それは自分の意志です、自分の能動的な選択です。
そして人の為だけでなく自分の意志の為に働くのです。
又、ほとんどの人は自分を掴むために動いているでしょう。
そして、働くうちに求めてさえいれば、いずれみえてくるものでしょう。
自分というものをきちんと掴んだうえで働くことこそ、正根が入ったものであり、他を損なうことなく、生きる喜びにであえることといえましょう。


すばらしい欲をそだてましょう
  欲あってこそ 良くなれるのです
 
 欲を上手に育てましょう。
人はそれぞれもってうまれた資質があります。
その資質は育つ環境(人的、物理的、自然環境)によりその伸び方もさまざまになります。
同じ気質でも百人百様のでかたをするといえましょう。 

 しかし、気質の原型だけでもまずは大きく12種類あります。
12人いても、皆 考え方も感じ方も行動への移し方も全てが大きく異なっているのです。

 ですから、人はそのタイプと違うことを押し付けられたり、枠にはめたり、違うものをうえつけたりして、規定させられると、自分本来のもつものに気づけないまま、発揮できないままに、自分自身と違う枠にはまめられたまま大人になってしまうこともよくあります。

 それは大変苦しいことです。 何かがちがう、おかしい、おもしろくないと自分の内の無意識のところが ″叫んで″いるのです。
はやく自分自身にであってほしいと訴えているのです。
ある意味では、それをきづかせてくれるのが欲なのです。

 自分の欲は何か よく心にきいてみてください。
あなたのしたいことは何ですか。
今していることは、本当に自分でしたくてしているのですか。
自分で選んでしているのですか。
あなた自身の欲を、自分の内から呼び起こされる欲を解放させてあげてください。
大切に聞いてあげてください。
 うえつけられたり、作られてきた意識の枠をはずしてみませんか。
囚われから抜け出してみませんか。
自分の意識を心を吟味してみて、本来の自分、生き生きした自分でいたいものです。


欲のコントロール

欲を自在にコントロールできてこそ、人生の達人になれるのではありませんか。
後で後悔したり、周囲の人を悲しませる欲にふりまわされたりしないで、心の喜びで本心で働けることは妙なる喜びです。
まさに生きる喜びです。
至福の歓喜をもちながら日々働いていこうではありませんか。
 そして、人と人と、喜びあい感謝しあいながらつながっていくことこそ、私にとっての″幸せへの欲″の達成なのです。


ゆきちゃんの世界 つれづれなるまま


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