
ゆきちゃん研究3 : 本当の愛
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この「本当の愛」という文章へのコメントは、
ゆきちゃんが分かればいいと思って書いたものですから、分かりにくいとは思います。
関心をもつ人がおられるかもしれないので、アップロードさせてもらいます。
(青い字がゆきちゃんの文章です)
本当の愛
本当の愛とは、みんな持っていると思うんです。
生きてるって証拠のいのちの光、それだと思うんです。
サルカールの場合、ニルグナ・ブラフマ(純粋の至高の意識)の次の
サグナ・ブラフマの段階が光です。
究極は光をこえています。
サグナ・ブラフマに達するとは、言い換えたら愛そのものになることです。
その光こそ全てと一体であり、いきている喜びであり、あかしであり、
全ての生命の持てる慈愛といえるものだと思うんです。
その光をサグナ・ブラフマとするとまったくサルカールの哲学と同じです。
ケン・ウィルバーの「統合心理学」の言葉では、光の中心に進むことが献愛=エロスであり、
光が万物に注ぐのが慈愛=アガペーです。
この世のありとあらゆるもの、
全ては見える光と見えない光からなる響きから成り立っていると思うんです。
プルシャ(純粋意識)にプラクリティが形質付与するレベル、
すなわち顕現のレベルの違いが、ここでいう見える光と見えない光ですね。
光りであれ、闇であれ、ものであれ、こころであれ
すべては、いのちのエネルギ−から発した響きのなかで、
ひびきあい、影響しあいながら存在していると思われます。
いのちのエネルギー=まさしくサグナ・ブラフマです。
なかでも精妙なものこそ、目にみえないものこそ、
すばらしい膨大なエネルギ−を秘めているように、私には感じられます。
まさくしサルカールと同じ言葉、精妙を使われています。
そうなんです。精妙なものの中に莫大なエネルギーがあるというのです。
物的身体的なものより、知的な方がつよい、さらにスピリチュアルなものが強いといいます。
強いというかコントロール力があるということです。
とくにこの物質界においては、互いに微妙に異なる108の響きが、
壮大なるシンフォニ−を生み、奏でているとおもうのです、世の中って。
たしか、原子の数も108つ、それらはいわば、108色の煩悩ともいえて、
108の微妙に違った色合いと性質をあらわしているのでしょう。
世の中にあるものことごとくに色色と苦しめられてあるといえましょう。
色は、まぜると 汚く黒くなります。
しかし、明るく軽い光りは、まぜるほどに透明に明るく無色に近づきます。
そして燭光となって輝き、すばらしいエネルギ−を発揮するのです。
すばらしい直観です・・・ゆきちゃんは。
天性のスピリチュアルな感性があり、それが音楽に生きたのではないでしょうか。
そして音楽がスピリチュアル・プラクティスとなって
ゆきちゃんを高めてきたのではないでしょうか。
これは、大変に重要な原理だとわたしは感じています。
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