ゆきちゃんの世界
  * * * 阪神淡路大震災ボランティア * * *
地震報告 第15弾

地震報告第15弾!   1996.5. YUKI.I

                
                   
     花         作詩 
                     作曲 喜納 昌吉
  
    河は流れて どこどこ行くの          
    人も流れて どこどこ行くの 
    そんな流れが つく頃には
    花として 花として 咲かせてあげたい
 
      泣きなさい  笑いなさい
      いつの日か  いつの日か
      花を咲かそうよ
 
 
    涙 流れて どこどこ行くの
    愛も流れて どこどこ行くの 
    そんな流れを この胸に
    花として 花として むかえてあげたい
   
      泣きなさい  笑いなさい
      いつの日か  いつの日か
      花を咲かそうよ
    
    花は花として 笑いもできる
    人は人として 涙も流す 
    それが自然の唄なのさ 
    心の中に 心の中に
    花を咲かそうよ
  
      泣きなさい  笑いなさい
      いついつまでも  いついつまでも
      花を咲かそうよ
  
●先日、西宮市の視覚障害者の工藤正登(くどうまさのり)さんに誘われて、喜納昌吉(きな しょうきち)さんの大阪南港でのライブコンサートにいってきました。
  
 喜納さんは、私と同世代のナイスガイ。 近くではひげもじゃのナイーブなおじさん、でもコンサートの遠目では若くてかわいいキリスト様ともみまちがえそうな、そんなカリスマ性をもった素晴らしい方でした。
 瀬戸内に沈む夕日をみながらコンサートは盛りあがりました。 
老若男女も立ち上がって踊り、黒い背広を着たサラリーマンまで踊っている様子はとてもおかしかったです。私もスピーカーの音量が大きいので後の方へいってたのですが、いつのまにか前へとひきよせられてついつい踊っていました。       
 
●あなたはどんな花を咲かせるの
 今、喜納さんの花は大きく咲いています。 だれでも自分自身の花を咲かせれるのです。 それぞれが、自分の花をせいいっぱい花開かせるためにこの世に生きているのですから。 花開いてこそ実も成ります。
 60年にたった一度だけ咲く花だってあるんです。 色も形もさまざまです。 泣いて笑って、多くを体験し、涙も多いほど、味わいのあるすてきな花が咲くのかもしれません。 どんな花でもそれぞれに美しいのです生命を輝かせているのです。 どんなに小さな花だって、ひとつひとつがせいいっぱい咲いて輝いているのです。
 以下、事前に工藤さんからの聞いた喜納さんのいろいろな話を聞き覚えのものだけですがお伝えしましょう。
         
●喜納昌吉さんは、父親が沖縄の民謡の第一人者という喜納しょうえいさんです。 しかし息子の昌吉さんは沖縄ではしりのロックミュージシャンになりました。 21才でプロになってライブハウスを持ち高級外車も乗り回していたそうです。 そして当時のダチの罪をかぶって麻薬所持法違反等で刑務所に入ったそうです。 しかし、出所してもその友は有難うの言葉もなく、何ら変りもない様子をみて愕然とし、俺の行動はいったい何だったんだろうとドン底につきおとされたそうです。  
  そして、これからは、人を生かす音楽だけを歌おうと心に誓ったのです。

 そのドン底で作った唄が、占領され、仕事をとられ、娘を亡くし、奥さんも狂ってしまってアル中になったおじさん″ハイサイおじさん″の唄なのだそうです。
        
 それからというもの喜納さんは、心の勉強をいろいろして、弱いものの友となり、一緒に声を出し歌ってきておられます。
インディアン、アイヌの人、在日韓国人、そして勿論本土にしいたげられてきた沖縄の人々の心の″声なき声″を唄にして、歌ってこられています。 この大震災にもいちはやく駆けつけてこられました。
        
●コンサート前に皆と一緒に喜納昌吉さんを囲んでゆっくり話をしました。 ボランティアの若い女の子が、沖縄って素敵ですね、私も元気になりたいから、気をいっぱい貰いに行きたいなと言った時、喜納さんは
 「そうだね、貰いにいってもいいだろう。 でもね、あなたが、あなた自身でいっぱい気を出せるんだよ。 人のために尽くしたり、いろいろとあなたにできることを喜んでせいいっぱいやっていると自然に元気もでてくるんだよ。 貰おう、貰おうという気持ちでなく、自分から元気は出てくるんだよ。」 
と答えておられました。

 他にも、いつも私が言っているのと同じようなことをいろいろと話しておられました。 私は、同魂の友!といった感じで楽しく聞きながらも話の間中、先日タクシーの衝突で、ムチうちみたいで、指が痛いという喜納さんの指や手や腕をさすったり、首のつけねや肩に手をおいて気を送ってあげながら話を聞いていました。 そして、これまでの″本物を感じる会通信″の地震報告を15冊手渡してきました。
         
●喜納昌吉さんは、この夏アトランタオリンピックのスタジアムで、この″花″の唄を歌います。 日本人の代表として、歌うのです。
            
 そして、帰られて8月30日には大阪で、そして9月1日(日)に関西学院でライブコンサートをされます。 私も9月1日の方の仕掛け人の工藤正登さんの″震災地から良き未来を提唱実現させる会(仮称)″に協力して、その防災の日に、あの阪神・淡路大震災の認識をあらたにするためにもボランティアとして参加しようと思っています。
       
 
 
      街
               作詞 ・ 作曲  高石 ともや

        
一  下駄の音  路地裏通り
    雨あがりの屋根
    窓ごしのてまりうた
    おさげ髪の思い出 
                
    この街が好きさ
    君がいるから
    この街が好きさ 
    君のほほえみあるから

二   街の角  喫茶店
    古い美術館
    山かげの細い道
    初恋の涙

    この街が好きさ
    君がいるから
    この街が好きさ
    君のほほえみあるから
                
三   大学通り  流れる川
    走る路面電車
    背の低い山をみて
    君と僕のあした
       
    この街が好きさ
    君がいるから
    この街が好きさ
    君のほほえみあるから 

 高石ともやさんは、誰もしらない人がないほど皆様ご存じの歌手でしょう。 高石さんも震災ではいちはやくかけつけて下さり、ずっと中学校の避難所で、救援活動とはげましのボランティアコンサートをつづけておられました。 

 被災者とともにいて、ともやさんがギターをもって歌いはじめると、その歌声は人の心にひびきわたり、いつのまにかともやさんの周りに人が集まり、皆は涙をためて聞き入ったそうです。
 ともやさんは、避難所のテントの被災者たち皆の心に明るい灯をつけてまわってくださいました。
 ともやさんは歌は祈りだとおっしゃっています。 
 それは今回紹介する三人の歌手と映画にみな通じているものです。
 

<<わが故郷・山と川・心の歌>>
    岩見沢/夕張80kmランニング(給水ボランティア募集)
            
この6月28日(金)から、7月2日(火)までともやさんの故郷で、ともやさんと一緒に北海道を走るマラソンがあります。
28日  増毛(マシュケ)札幌の北、
        
 29日 暑寒別(ショカンベツ)岳を登っておりる  35.2km
     雨竜沼の湿原  山小屋に泊まる・自然環境のビデオなども

 30日 砂川北公園   野外ステージで3時からコンサート
      美唄の焼き物・渡り鳥の繁殖値観察・鶴の先生の話

  1日  岩見沢東山公園
  2日  石狩町     一緒に北海道に歩きに?いきませんか。


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