ゆきちゃんの世界
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体外離脱体験

たとえばみなさんの脳裏に浮かぶ、考えがどうして、夢・幻じゃないといえましょうか?

目にみえない、手にとれない考えも、
実態のない夢や幻・妄想と同様だといっても、いえるものじゃないでしょうか。

しかし、そのみなさんの頭の中の実態のないかのような考えについても
実体験や一般的共通認識に照らしあわせ、<言葉>をもって考えを述べ伝えることで、
自分の、<身のあることば>として、価値を持たせているのが実状でございましょう。

しかし、それらも、あくまでも、それぞれが、実際にみとめておられる
<認識と体験の範囲内>においての認識なんでございましょう。


たとえ見えないこと、現実に体験していなくても、じっさいにあるとして、
認識しておられることも多くありましょう。
またそのように頭の中で考えたことも実際のこととして認識していることは沢山あるでしょう。

たとえば、じっさいに体を開けて臓物を見ていなくても、胃だ腸だと・・は、・
認識できているものとして、あたりまえだと理解しておられますでしょう。

しかし、その認識の範囲は、人それぞれでございましょう。

ですから、自分の認識の許容範囲を越えている体験だからって、
みなさんと同じようにわたしが、わたし自身の体験を言葉を用いて表現したものを 
夢だ・幻だとバカになさるようでは、みなさんの認識とて”目くそ鼻くそ”じゃないでしょうか。

どこぞの青二才さんが、手ひとつにぎったこともなく、勝手に思いめぐらせて、
恋愛小説など書いている、こういうのは勝手な想像力の所産でございましょうが、

わたしの幽体離脱の体験は全くわたしの意識で観え、また肉体の目においても見えた
現実の体験でございます。

わたしの肉体の離脱は、はっきりとめざめていた時の体験でございました。、

頭頂よりこの私が出て、輪ッカとなって、空を飛び、収縮し無となって大閃光を発しましたものも,
すべて自分が見えて体験したことがらございます。

そしてその時に味わった至福の大歓喜の体験も、体全体で60兆の細胞全てがしかと、
たっぷりと味わったまさに体験でございます。

昼間にしっかりと目覚めている時にはっきりと見え、感じたものでございますから、
これは、わたしにとっては体験としかいいようがございません。

もし、これが寝ているときとか、寝る一歩手前のような瞑想とかでしたら、
それこそ、夢うつつの世界のでき事として、わたしとて、しりぞけたでございましょう。 

現にそう判断し、まざまざと見えて感じれた、目をとじての瞑想はなどは、
ついには、すさまじい恐怖の体験になり、それらもそれなりに感じられましたが、
これは、妄想と髪一重の世界と判断して、ずっと退けてきておりました。

しかし今から思えば、それとても、ひょっとして、陰と陽の見えない意識のあらわれ方の違い
といえるものといえるのかもしれません。
(わたしは、たいてい体験が先にあって、それを追認識、追分析しているようです)


実際目をしっかりあけての大歓喜の体験は、
現実に体からのわきあがるエネルギ−が尾底骨から、背骨を通って、
頭頂へとつきあげ、わたしの意識を空中にとび出させたのでございます。

たしかに夢じゃござんせんよ。 このわたしのありありとした<意識>の体験です。


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