マザ−テレサしよう
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ここで仏教にかぎっていえば、
実はかんじんなところを伝えることを、忘れたんじゃないかと、
私にはちょっとそんなふうに思われるんですよ。
なんのために、この世に肉体を持って存在を許されているのか・・・。
これってものが確とはっきりわからぬままにされているようで・・・、
だって、以来何千年、多くの人がお寺に一生閉じ込められ、
修行として経を覚えるのとその解釈ばかりに頭ばかり一生をつかわせられて、
ほとんどを寺の中だけで過ごし、世間的に全く実践の少ない、
頭でっかちな所業にならされてしまったようにわたしには思われます。
ずうっと幾千年にわたって寺の中で囲われてきた
それはたくさんの坊さんたちが、実際に巷に散って、
道はいて、便所そうじして、畑たがやして、ゆき倒れている人たちを救って、
子どもたちと遊んで、主婦たちを助け、
どんどんマザ−テレサしてればもっと世の中住みよくなったのに、
と私にはいまだもって残念にも思われるのですよ。
それなりの修行をして人間の欲もよく知り、あるていどの真理がつかめたら、
どんどん世間にでて、下座行にはげめばよかったと思うんですが・・・
これまた、寺の中でヒエラルキ−で欲がまんまんだったりしてね・・・
たとえば密教のマントラの響きだって、よいものだけをどんどん公開して、
多くの人々、世界の人々の心と体の救いのために、どんどん開帳ご奉仕して、
口は説教じゃなく、マントラ唱えて、手に箒をもってはき清めてまわり、
「身をもって手本をしめす」これこそ人を指導するときの基本姿勢じゃないでしょうか。
それでこそ、世の中の向上の役にたつってもんよ。
坊さん,坊さん、葬式仏教で戒名とお布施に頭つかってるより、
もっと世間に出てきて、身を捨てていろいろお掃除すること、
やまとあるんじゃないかいら。
忙しい主婦のボランティアなんかにまかせていないで、
もっと、トルコでも台湾でもアフリカでもアフガンでもどこでも飛んでって、
実際のお役にたつお手伝いをどんどん、実践したらいかがでしょう。
わたしが、坊さんやってたら、救援実働部隊で、ぽくぽく木魚持ってかけつけますね。
数珠もつ手に、鍬もって、トンカチもって、畑をたがやし、家を建て、
子供と遊び、読み書きを教え、お母さんたちの手助けもしてあげますね。
都会のど真中だって、手伝えることは、ごまんとあると思うよ.
すてきな託児所、夜でも開けて、一人で働くお母さんの心のささえになるような
託児所で、子どもたちの体も心もあずかりながら、
未来を生き生きと、生きて行ける子供たちを育て、
いっしょに母親の支援ともなり母親育ても一緒にしようとは 思わんかい、
ひろい寺で経読んで、仏像みがいてるより、もっと体をはって
巷に出てって、たくさんの人の心の癒しに役にたつことあると思うよ。
同じ人間だもの。
坊サン、坊サン おんもにでておいで・・・
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