
宗教との出合い
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わたしはクリスチャンではありませんが、小さい頃から,聖書はすきでした。
プロテスタントの幼稚園に4・5才の頃に行ってました。
家は、全くの無宗教で、勉強、勉強、いい学校へ!のやかましい親でした。
が、幸い、わたしは兄弟のなかでも落ちこぼれてましたから。
本が大好きで本ばかり読んで、ピアノも弾き、何より外を遊びまわっていました。
そしてなぜかキリストも釈迦もマホメットも、
昔からとても身近なともだちのように思われました。
マホメットの伝記を中学のころ書きかけたりしましたね。
いわば、釈迦はしたいほうだいして、あきてしまった、たいくつだ〜、
生きてるのは、苦しみだ〜なんて、自分はしっかり遊んどいて、
誘惑されたからって、女人は罪だ〜・・・なんて?
笑わせないでといいたいわ、だれが、生んで、おっぱいあげて、おしめかえて、
ごはん作って、洗濯してあげたのかしら。
一番感謝をしらないのは、だ〜れだ。
以来、おおぜいの人を惑わして、お寺に入れて、
あれかこれかと 皆を奔走させて、罪つくりなお方。
でも、それだけ魅力にあふれたすばらしい方だったんでしょうね。
死んでからのことは分からぬと言っておられたそうな。
しかし、それで後世あれやこれやと、あの世のことを膨大に空想せられて、
ご本人がちゃんと書いとかないものだから、あとあと大問題だ〜〜。
そりゃないよ、あの世とやらで、全ては弟子の勘違いですって
言い逃れしよったって、そうはいきませんよ、ずるいお方。
だけど、ほんとに釈迦が、
あのような曼荼羅の世界を想像したんでしょうか?
たぶん、そうではなかったろうとわたしには思われるんですね。
たぶん、後世もったいと権威をつけて、皆に教えて、
覚えさせる内容が必要になったんで、
袈裟を着て威厳をつけたい方々が考え出したことじゃないかと私は思んですよ。
お釈迦さまは、もっと簡便で明快だったと思われるんですね。
相手にあわす口が上手というのは、人間性をよく掴んでたということだと思うのですね。
それには、囚われないというところがあったようにわたしには思われるのですね.
生老病死にはそれなりのみなの納得するところを・・・
また、人に応じて傲慢にならないよう畏敬の念不可思議の念が持てるよう
そのように一人ひとりがその性質に応じて賢くこの世をいきてゆくのに必要な
そんな知恵もあたえていたと思われるんですね.
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