ゆきちゃんの世界
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5月地震報告 第4弾

地震報告第4弾 5月通信
  
    みみずの歌
            YUKI.I             

 土が  カラカラだ
 なぜ  なぜ   もう住めないよう
 のどもカラカラ   体もヒリヒリ   
 おなかもカラッポ

 出たいよう  出たいよう
 水のあるところへ                    
 行きたい   行きたい   
 湿り気のあるほうへ    

 かたくて   出れないよう
 外は  どこ
 柔らかくて  おいしい
 あの土は  どこへいったの  
 ねえ   なぜなの・・・

 桜の  花の下  
 アスファルトの  地面の上に
 たくさんの   みみずの死体が
 ひからびて  よこたわっていた

    
    みみずの歌に関して           本物を感じる会  YUKI.I

 私が始めて、みみずの死骸に深い印象を受けたのは、今から13年前、東京に住んでいた頃でした。

 あの時、私は朝早く明治神宮の森の中を散歩していました。競技場の前の広場からわき道に入ったところのコンクリートの道は、片方は一段上がすぐの芝生で、片方はコンクリートの深いみぞでした。

ところが、そのみぞに近い方の道の片側に、長くて大きなみみずの死骸がいくつも横たわっていたのです。
                           

 さくらの花の下、コンクリートの上に横たわっているみみずの死骸をみて、私は絶句しました。 

ああ、なんて人間は傲慢なんだろう・・・と。 

土の中で活躍してくれているみみずにとっては、人間がひとまたぎの溝でさえ、死なねばならないほどの大きな障害であることがよ〜く分かったのです。 

みえないみみずの目からみれば、一度降りたみぞの高さは二度と登れない城壁だったのです。 

 そして、水の匂いはしていても行き着けない城砦のごとき側溝・・・コンクリートの道の砂漠にはまってしまったみみずたちは、毎晩何匹もひそやかに息たえていたのです。 

 視点を変え、気持ちをみみずたちのところに置くことでみみずたちの声が聞こえてきます。  

 人間の思いやりのなさの影に、このような犠牲がそれこそ数えきれないほどあるのです。
  
 
 人間って本当に、どんなに気をつけてもいても気づけないことが沢山あるだろうに。

 気をつけようとしなかったなら、それこそ もっともっと、こうして知らないうちに多くの生き物を傷つけ殺してしまっているのに相違ないと、

朝のさわやかな気持ちも一度に重く辛い気持ちになったことが思いだされます。
                                 

 二度目の花の下のみみずたち、これは道のかしこに死んでいるみみずたちでした。 

 神戸にきて3年目の昨年でしたか。 
 
六甲山のあまり人も車も通らないアスファルトの道にみみずの死骸が干からびて散らばっていました。

 その無残さに思考は停止しました。 

 なぜ、どうして  ・・・その苦い思いが、このポエムになりました。                               
                              
 
 そして、お気づきかと思いますが、このみみずたちの姿は、今回の大震災で亡くなられた方々の姿と重なるようです。 

 この5002人もの死者の数、一人一人に沢山の思いがありました。 

 そして、この数字には表れていないけれど神戸市だけでもこの2・3月に、後を追うように震災が原因、あるいは避難所暮らしの寒さが原因の肺炎などで亡くなられたと思われる千人近い方々がおられます。                         

 ミズホの国を支えてきた、水と微生物たちと小動物たち、鳥や虫や獣たち。 

 彼らたちとともに、いや彼らたちのおかげで、私たち人間はこの緑と水の豊かな日本を共に作り、支えてきたのです。 

 人間でいえば、殿様や武士は刀や権威の脅しで大きな顔をしていたでしょう。 
 
 しかし本当に世の中を支え、周囲を見下している武士や公家たちを支えてきたのは、黙々と米を育て野菜を育て、土を育て、森を守ってきた、農業や漁業や林業にかかわってこられた方々です。

  そして、人間の生命を守り育ててこれたのも、多くの自然の中で共に生きてきた、人間なんて比じゃないほど多くの生きとし生けるものたちなのです。 

 私たち人間のエゴの成長もあまりに行き過ぎました。″過度″は″角″となって、地球上の他の生物をすっかり痛めてきました。

  そして又私たち自身もまた傷つけあっています。

 もうこれだけ好きかってをすれば十分ではないでしょうか。 

 これからは、これまで踏みつけにしてきたものたちに、地面に頭をすりつけて、詫びねばならない時がきたと思うのです。 

 この地震もそれに気づくための大地からのお叱りの揺さぶりではなかったかと私は思うのです。

 今まで上にいたものは、今度は下にならねばなりません。 地震で全てはひっくりかえったのです。 
 
 これまで、下であり影であったものが、エゴを捨てて尽くしてくれていたことに見習わねばなりません。 

 争いのための角も武器も捨て、自己防衛のための鎧や兜も脱ぎ捨てて、無となって、空となって地球の全生物とのネットワークの回復のために、人類は今こそ全心全霊で、詫びて尽くす時がきていると私は思うのです。 

 これまでの技術と知恵を全て導入して、これからは地球を生かし、全ての生きとし生けるものを生かすためにこれから人類は、全ての生物の下積みとなって働く時がきたとおもうのです。 

気づきましょう。 目を覚ましましょう。 そして、行動に移す時がきたのです。


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